最初はたむらけんじさんだったんですけど、たむらさんが僕の過去を聞いて「オモロイ」と言ってくださったんです。

 悲惨だとかかわいそうではなく「オモロイ」。

 これまでのことが「オモロイ」に変換される場所があったんだ。確かに一つ一つは本当につらい。でも、それを前向きな力に変えることもできる。それがお笑いでもある。その感覚がとても衝撃的でした。

 実際、たむらさんにはすごくお世話になり「ナインティナイン」の矢部浩之さんだとか、いろいろな先輩に会わせてもらいました。その度に、あらゆる先輩方も「オモロイ」と言ってくださる。そして、またかわいがってくださる。

 こんな世界があったんだと思うと同時に「自分の過去も、捨てたもんじゃない」と思えるようになったんです。

 それだけ大きな衝撃を受けて、大きな優しさで包まれ、テレビも含めお仕事もいろいろいただけるようになっても、母や兄に対する憎しみはずっとありました。全然抜けませんでした。

 それと同時に、このままでは良くない。その思いもありました。なので、一念発起して、母親の居場所を探して会いに行くことにしたんです。芸人になって10年以上経ってから。

 そこで仲直りするのか、ケンカになるのかは分からない。ただ、会えば、何かが、何かは、前に進むんじゃないか。そう思ったんです。

 会って言われたのが「あんたには何も私はやってなかった。申し訳ないと思っている」ということでした。

 それに対し、僕は「それはそういう風に思わないでください。僕は東京に行って芸人として楽しくやっているので」と答えました。

 すると、そこから兄の話になりました。

「あんたが芸人をやってるとは全く知らんかったけど、お兄ちゃんは〇〇大学を出た後、アメリカの大学も出て、大企業に入って、外国のその会社の支社のえらいさんになってはって、奥さんと子どもとその国の永住権を取ってそこで暮らしてる」

 そんな兄貴の自慢話が始まりました。

 その時に思ったんです。このまま付き合っていたら、また同じような思いを味わう。

「分かりました」と言って、それ以来、一切会っていません。今で、そこから6年ほど経っています。

「苦しい過去があったけど、それがあったから、今は前向きに暮らせています」

 こういうインタビューの場ですし、そんなストレートな話ができた方が分かりやすいのかもしれませんけど(笑)、今、お話をしたようなことが本当のことです。

 今回、このようなお話をして「勇気づけられた」とおっしゃる方もいます。ただ、そうじゃないことを思われる方もいらっしゃるでしょうし、ましてや、僕が「こうした方がいいですよ」なんてことはおこがましくてとても言えません。

 ただ、今、家族とのことで困っている方がいらっしゃるならば、一つの例として、僕みたいな人間もいる。それ以上でも以下でもない。そんなサンプルとして見てもらえるならば、そこに一定の価値はあるのかなとは思っています。

 そして、その結果、もし、死ぬことをやめた。もしくは、何か前向きな感情になった。そんな方がもしいらっしゃれば、僕は、とてもうれしく思います。

                        (構成:中西正男)

■若井おさむ(わかい・おさむ)
1973年1月9日生まれ。京都府出身。吉本興業所属。NSC大阪校24期生。アニメ「機動戦士ガンダム」の主人公、アムロ・レイのモノマネを得意とし、ガンダムをモチーフにしたコントでブレーク。テレビ朝日「笑いの金メダル」などで知名度を得る。今年1月、YouTube「吉本中尾班YouTube劇場×街録ch」内で語ったこれまでの壮絶な人生が話題となる。

著者プロフィールを見る
中西正男

中西正男

芸能記者。1974年、大阪府生まれ。立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当として、故桂米朝さんのインタビューなどお笑いを中心に取材にあたる。取材を通じて若手からベテランまで広く芸人との付き合いがある。2012年に同社を退社し、井上公造氏の事務所「KOZOクリエイターズ」に所属。「上沼・高田のクギズケ!」「す・またん!」(読売テレビ)、「キャッチ!」(中京テレビ)、「旬感LIVE とれたてっ!」(関西テレビ)、「松井愛のすこ~し愛して♡」(MBSラジオ)、「ウラのウラまで浦川です」(ABCラジオ)などに出演中。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

中西正男の記事一覧はこちら