86年3月1日の巨人戦、“オレ流”のスロー調整で、まだバットを本格的に握って2日目だった落合は「(バットを振らずに)三振してきてもいいですか?」と稲尾和久監督に尋ねた。巨人の先発が2年目の若手・宮本和知だったため、「左投手の球を打つと、フォームを崩す」という理由もあった。

 だが、鹿児島はロッテのキャンプ地でもあり、「落合、有藤(通世)はファンのためにも出てほしい」と考える稲尾監督は、あえてその条件をのんで4番打者として出場させた。

「今日はボールを見るだけ」の言葉どおり、1打席目の落合は、6球すべてバットを出すことなく、見逃し三振に倒れ、「お金を払って来た人には悪いし、打者の本能として、バットを抑えようとするのは辛い」と複雑な心中を吐露したが、スタンドの1万1千人のファンがガッカリしたのは言うまでもない。

 さすがにこれではまずいということで、4回の2打席目は稲尾監督と相談し、「直球が来れば打ちます」と約束した。だが、5球すべて変化球だったため、バットはピクリとも動かず、カウント2-2から2打席連続見逃し三振。5回の守りから愛甲猛に交代した。

「ボールもよく見られたし、恐怖心もなく、非常にいい練習ができた。あくまで本番への予備ゲームだから、勘弁してもらいましょう。その分シーズンに入ったら、お返しします」とファンに約束した落合は同年、打率.360、50本塁打、116打点で2年連続三冠王を獲得。見事有言実行を果たした。

 日本では奇異な目で見られがちな個性的なトレーニングも、野球の本場・メジャーともなれば、半ば常識のようなもの。打席に人形や夫人を立たせて投球練習をしたり、SUV車を手で押して動かしたり、ショートの守備位置から投げる方向を見ずに一塁送球したり、ユニーク度満点のものばかり。そんなメジャー流の調整法を披露して話題になったのが、00年に西武に入団したトニー・フェルナンデスだ。

 前年までメジャー通算2240安打を記録した大物助っ人は、同年2月15日に来日すると、翌16日に早くもキャンプ地・春野入りし、室内練習場でトレーニングを開始した。

次のページ
フェルナンデスの“謎トレーニング”