石井監督はコロナ禍の下にある社会を映画でどう表現しようとしているのだろうか。

「世界全体がボロボロになっているのに、そうではないフリをするのはひどく疲れます。もはや世界も人間もボロボロなんだ、という認識は、後ろ向きのようで実はとても前向きなんじゃないかと思うわけです。『茜色に焼かれる』では、シングルマザーの主人公が大切にしているものがどんどん奪われていきます。今僕たちが感じている虚しさとか、社会の軽薄さとか、人の醜悪さ、残酷さ、そういったものを全てかき集めて見せて、その上でそれらを上回る圧倒的な愛、美しさを描けないかと考えました。今、絶対に見せたいものは、これまでは口にするのもはばかられたようなものです。それから、『人はなぜ生きるのか』という呆れるほど根源的な問いです。そこにまずは立ち返ろうと」

シリアスな作品になりますねと当然のように伝えると、石井監督は「いえ、愛と希望の物語です」と即答する。確かに、石井監督の映画には、必ず希望がある。

「今は明るく前向きな映画を見たいはずだ、と言う映画製作者がいました。それには半分同意できますけど、半分は同意できない。やっぱり、今この状況にあって、当たり前の苦しさに触れない明るさって、僕は違うと思う。もちろん何も考えなくていいお気楽な映画があってもいい。でも、現実から目を背けるというのは何か違うような気がするんです。とは言え、今もずっと悩んでいます」

(文/朝日新聞編集委員・石飛徳樹)