石井監督が言うように、こういう危険な状況はずっと以前からあった。その兆候に敏感な人たちは声を上げ続けているけれど、ストレートな警告に耳を貸す人は限定的だ。そして、加速度は増している。

「1990年代後半くらいからでしょうか。21世紀に入ってすぐに小泉政権が誕生し、新自由主義的な流れが加速していきました。その頃から日本人の“羞恥心”が損なわれてきたように感じています。僕は精神論なんて全然好きじゃないですけど、日本人の美徳だと言われてきた“羞恥心”だけは大切なことだなと考えていますし、日本人として誇らしく思ってきました。今はもうカネこそが全てだというような世界です。ですが、それは本来恥ずべきことだったはずです。だから誰も反論を用意していなかったんだと思います。でもね、『羞恥心』だけは捨てちゃいけなかったんですよ」

 ある一定の方向に雪崩を打つ社会に一石を投じる。映画は、その原動力の一つになりうるはずだ。特にエンターテインメント映画は、非常に多くの観客に届けることができる。映画を通して、物事の真実や本来の意味を、冷静に見つめて判断する必要性を多くの人に訴えることができるのではないか。

「僕はその答えを持ち合わせていません。ただ、2020年は映画というものの力を大いに感じる1年になりました。それまでは、僕の周りでも頻繁に『映画なんて、なくてもいいもんだからさ』という話をしていました。ベテランのスタッフほど、そういう言い方をするんですよね、キザっぽく。ある種の自虐と誇りですね。僕も映画の世界で何年か過ごしてきて、同じようなことを言うようになっていた。他の職業、例えば医療従事者や農家の方々のほうが重要だろう、と。でもこういう時代になり、政治を筆頭に社会のあちこちに嘘が蔓延していると気づいて無力感を覚えました。その時、思ったんです。映画というのはすごく高尚な“嘘”でできていて、ここまで多くの大人たちが夢中になれる嘘の中には何物にも代えがたい真実があるのだ、と。それはつまり情熱ですね。だから映画を見たくなるのだ、と。今、僕たちが生きている社会は、ますます嘘ばかりが増え続けているから、相対的に映画の価値が浮かび上がってきた感じがしています」

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コロナ禍の下にある社会を映画でどう表現するのか