就職は定時で上がれて土日休みの地元・神奈川の信用金庫に決めた。平日はナイターで練習し、土日はビーチバレーの試合に出るためだ。昼間は信用金庫の制服を身にまとい、正面入り口の目の前の窓口で接客をしていたという。

「ある日、『週明けに黒くなっている窓口の銀行員がいて、遊んでいるかもしれないから信用してお金を預けられない』というクレームが入ったんです。その時、支店長が窓口に出てきてくれたんですけど、支店長もゴルフが好きなので真っ黒(笑)。2人して黒いから説得力がありませんよね。だからそれ以降、クレームが入らないように夏でも長袖の制服を着ていましたし、ストッキングの色もツートーンくらい明るいものを選んで気を遣っていました」

 約2年間の信用金庫時代を経て、坂口はビーチバレー一本に絞ることを決めた。幸いなことに所属先はすぐに見つかり(当時はオーイング所属)、念願だった練習に専念できる環境を手にした。しかし、練習量が増えたことで身体は少しずつ悲鳴を上げ始めていた。2017年7月、練習中に左ひざの半月板損傷を負い、シーズン後半は治療に専念したため、棒に振ることになった。

 しかし、ここから坂口の「持っている」運命の真骨頂だった。2018年はビーチバレージャパンで初めてファイナリストになり、ジャパンツアー都城大会で初のベスト4入り。2019年にはジャパンツアーファイナル大会へ初出場を果たし、準優勝。次々に運命の新しい扉を開き、いまや日本を代表する若きトッププレーヤーに成長した。

「ケガした年のファイナル大会は、同じ所属だった先輩の村上めぐみさんの試合を観にいきました。その時、自分は何もできなかったけど、この舞台にどうしても立ちたい……と思いました。その2年後、それまでの憧れを現実にすることができた。自分でも、運がいいというかタイミングがいいというか、恵まれているなとは思います。でも、それは先輩たちや所属先の強力な後押しがあったからで、その中でチャンスを生かせたのはよかったと思います」

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コロナの期間は上手く“リフレッシュ”?