それから春場所の大阪といえばうどんだ。それまで、東京や福井の勝山で真っ黒なつゆのうどんしか食べたことがなかったから、初めて関西のダシのきいたうどんを食べたときはその美味しさに驚いたね! それから大阪場所中はご飯を食べたあとでも別腹で毎日食っていたよ! 今も嶋田家のうどんは京都出身の女房が作る関西風なんだ。

 プロレス時代になると、全日本プロレスでは春は「チャンピオンカーニバル」のシーズンだ。花見の季節に地方を巡業して、桜前線とともに移動しているみたいで、ずいぶん長い間桜を楽しめたと思うよ。そんなチャンピオンカーニバルも戦っている俺としては、総当たりの1対1で対戦するから、正直面倒くさくてしょうがなかったよ(笑)。「ジャンボ鶴田が優勝、天龍は何位」って順位をつけられて勝敗で序列ができるのも癪(しゃく)だったしね。

 それでも、1982年4月のチャンピオンカーニバルの福岡国際センターで、ジャンボ鶴田と初めてシングルで対戦して、30分フルタイムで引き分けた試合は印象に残っている。当時絶好調のジャンボと戦って負けなかったことで自信にもなったね。しかも、ちょうど婚約した頃だったから特に印象的だ。

 全日本プロレス時代の契約更改で、全日本側が提示する金額と自分で思っていた金額の乖離(かいり)があって虚しさを覚えたり、1989年に全日本プロレスを退団するとジャイアント馬場さんに話したのも4月だったね。それに2010年に天龍プロジェクトを旗揚げしたのも、春、4月19日だ。

 振り返ると4~5月は俺にとって「何かやるぞ~!」という季節だね。SWSから放り出されたのも4月ごろかな?(苦笑) 4月にゴタゴタが始まってね。今でもめちゃくちゃ嫌な思い出だね。白羽の矢を立てられたと思った企業プロレスで、やっぱりダメだって放り出されて、特に4月は嫌な雰囲気になっていたな~。俺にとって重要なことは、だいたい春から夏にかけて起きるようになっているみたいだ。

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天龍レシピ・新だまねぎの「たまたまサラダ」とは?