そして、気持ちの悪い動きが出てくる。「お上」の意向を上目遣いで窺っていた一部の「知識人」やマスコミが、学者6人や日本学術会議への中傷やデマを発信し、SNSを通じて広がっていった。「学術会議のほうにも問題があるのではないか?」「どっちもどっちでは?」「6人の思想は偏っていたから当然だ」――。そんな世論誘導を狙っているのだろう。

「どっちもどっち」と説教してくる人が厄介なのは、グロテスクな異論をわざわざ持ち出して、足して二で割ってバランスを取ろうとする点だ。学術会議の問題の根本は、過去に国会答弁で示した政府の方針(=首相は推薦された人を形式的に任命する)を一方的に変えたうえ、具体的な理由を示さずに6人を任命拒否したことであり、手続き的にも法的にも疑義がでている。ところが、自民党も政府も「学術会議のあり方」という別の問題にすり替え、その動きに、ネット上で発言力のある著名人が後押しする。

 この構図は、これまで沖縄に対して政府がしてきたこととそっくりだ。「学術会議」「6人」を、「沖縄の新聞」に置き換えてみるとよくわかる。菅政権は沖縄や学術団体だけでなく、同様のことをさらに他の分野でも広げていくだろう。こうして、思想・良心や表現、集会・結社、職業選択など、憲法が保障する様々な自由権がゆっくりと侵害されていく。次は自分たちかもしれない。それに備えるには、沖縄が受けてきた仕打ちを知っておくことが早道だ。

 安倍政権下において、沖縄がどのような扱いを受けてきたか振り返ってみたい。13年3月に辺野古沿岸部の埋め立てを県に申請。反対派の仲井眞弘多知事に対し、21年度まで毎年3千億円台の沖縄関係予算や、普天間飛行場の5年以内の運用停止を示し、埋め立ての承認を取り付けた。また、14年11月の知事選で菅氏は、那覇空港の第2滑走路建設の前倒しや米軍北部訓練場の返還なども持ち出した。こうしたわかりやすい「アメ」を県民はどう感じたか。取材で知り合った県民の声を聞く限り、屈辱と感じた人は多い。

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