殺された夫にしてみればたまったものではないだろう。でもなぜだろう、私を含め、この事件に心を囚われ、続報を待ち受けてはそれについて語りたくなる女性は少なくない。友人が会社に行くと「読みました? のこぎりの事件!!」と興奮気味に語りかけてきた同僚がいたという。それは私も同様で、会う人会う人にこの事件の感想を聞いている。多分それは、この国を今生きている女性として、「彼女の生活」をどこかで目撃したことがあるような、証人のような気分に簡単になれてしまうからなのではないか。

 76歳の女性。戦後、男女平等、民主主義の教育を受けてはいるものの、経済的に女が簡単に自立できるような社会などではなかった。殺された夫はあの森喜朗氏と同世代。根深い女性蔑視から自由になれた人はどれだけいただろう。

 日本でDVという言葉を根付かせたのは、90年代の女性運動だった。1992年「夫(恋人)からの暴力」調査研究をはじめた女性たちのもとに、当時約800人の女性からの回答があった。このアンケートは日本で初めてDV問題をまとめた本として後に出版されるのだが、アンケート結果のなかには、殴られる理由にセックスを拒否したためと答えた女性が3割、暴力を受けた後に性交を強いられ、避妊を拒否された女性たちの叫びのような声が多く残されている。経済的に支配し、「誰のおかげで食ってるんだ」と殴り、夫婦間にレイプなどないと口を塞がれ、何度も妊娠中絶を繰り返してきた女性たちの声がある。この調査をした女性たちは、のこぎりで夫を殺害した女性と同世代だ。2001年に配偶者暴力防止法が成立するまで、家庭内の暴力は「夫婦間の痴話ゲンカ」程度にしか語られない時代を、この国の女性たちは言葉にならない悔しさを抱え生きてきた。

「長年の恨み」

 その言葉が突き刺さるのは、その悔しさが全く無関係の女の口から発せられたものと思えないからなのかもしれない。母の悔しさ、祖母の悔しさを、この国の女の子たちは見てきた。「お母さんみたいになりたくない」という思いと無関係でいられる幸福な女の子は、どれくらいいるだろう。私が幼いころ、近所のおばさんが(当時30代前半くらいだったろう)、必死の形相で縄跳びをしていたのが忘れられない。子ども心に異様な光景に見えたのだろう。その後、その女性が中絶をしたらしいと、大人たちがひそひそと話しているのを聞いた。ずいぶん後になって、あの時の大人たちのひそひそ話と、女性の必死な縄跳びの姿が結びついた時があった。その瞬間、何か大きなものに殴られたような重い気持ちになった。

 女の恐怖、女の恨みは家庭の中で育つのだ。そのことを私たちはどこかで知っている。だからこそ、家の庭の木を全て切断し、夫の上に馬乗りになり死ぬのを見つめ、娘に連絡し、自ら警察に通報し、取り調べに「長年の恨みがありました」という女性の言葉が刺さるのかもしれない。まったく知らない女性のまったく知らない事件。でも私たちはどういうわけか、彼女を知っている気持ちになり、彼女を語りたがろうとしている。

 事件のことはこれから少しずつ明らかになっていくだろう。夫の死は、女性を長年の恨みから解放したのだろうか。その恨みが消える日は、くるのだろうか。

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表

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北原みのり

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北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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