佐々:『災害特派員』を読むとヒリヒリします。生身の体ひとつで現場に飛び込んでいっている臨場感が伝わってくる。でも、壊れていく自分を客観的に書くには、時間を置くことも必要だったのではないかと思いました。そして同時にそこに描かれていたのは、三浦さんにとって忘れがたく懐かしい、戦友ともいえる取材仲間でした。渡辺龍さんの写真を見て、ああ、三浦さんはこの人たちを書きたかったのだと。登場する人たちは私にも忘れがたい人たちとなりました。

三浦:あれだけの数の記者が被災地に入って現場に目撃しているはずなのに、残念ながら多くの記者が関係者の話を集めて記事にしただけで終わってしまっているように思えた。それは能力的な部分も多分にあって、日本のメディアで働く記者は今、自分で見て、感じて、それを残す力が徐々に衰退していっているんじゃないかと思うことがあるんです。被災地の町長の話を聞く、被災者の話を聞く、それを記事にするというのは、わりと教科書的にできるのですが、自分が見た光景を自分の感情――悲しい、怖い、悔しい、ひどいみたいな私情――と一緒に原稿に織り込んで発信していくというのが、どうも下手なような気がしています。そこにはたぶん昨今のメディアにはびこる「メモ文化」が影響しているんじゃないかと。

佐々:メモ文化ですか。

三浦:記者会見などでよく取材中の記者が会見者の内容を聞きながらパソコンでカチャカチャやっているのを目にすることがあるでしょう? あれは記者が会見のメモを必死に打ち込んでいるんです。自分が原稿を書くんじゃなくて、関係者の話や会見を取材してそのメモを上司に送り、上司がそれらをまとめて記事を書く。それが政治部などでみられる一部のメディアのシステムなんです。そのやりかたは政治という巨大な複合体を多面的に描くのには適しているのかもしれないのですが、被災地でルポルタージュを敢行するといった場面ではまるで役に立たない。そこではライターはたった1人で、自らの感性と言葉を使って現実を描ききらなければならないから。

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