佐々:あの頃、多くの人があまりの衝撃に言葉を失いました。それでも記者は現場に入っていって、なんとか記事にしなくてはならない。過酷ですね。

三浦:そんな極限の被災地の中で、僕はずっと「家族とは何か」を描きたかった。それは『エンド・オブ・ライフ』にもつながるテーマなのかもしれないですけど、津波で全部流された時に、たぶん一番大事なものが残るんです。それが、多くの人の場合、家族だった。僕はそれを描きたかった。家族を失った時に、人はどうやって生きるのか。どうやって立ち直ろうとするのか。あるいは忘れないでいようと思うのか。あるいは忘れられないのか。

佐々:さまざまなご家族が描かれています。

三浦:津波で最初に入った被災地で、泥の中に若いお母さんが地べたに座り込んでいる光景に遭遇しました。お母さんに「どうしたんですか」と言ったら、「ここで娘が亡くなった」と。さらに聞くと「私にできたのは、いつものとおり膝の上に娘を乗せて、歯を磨いている時によくやるように、口の中から泥をかき出してあげることだけでした」というようなことを言った。二世帯とか三世帯が一緒に暮らしている家族が多い地域で、つまりほとんどの人が死者を抱えているような町だったです。避難所に行っても、おにぎりを握ってくれている人も、両親を亡くしていたり、娘さんを亡くしていたりする。でも、みんな誰かを亡くしているのだから、お互いに支えあっていかないといけない。そこには戦後の復興期みたいな、「もう前に行くしかないんだ」みたいな、「あなたも家族を亡くしたけれど、みんな同じなんだよ」というような雰囲気があった。すごい絶望で悲しいんだけど、前を向かなきゃ生きていけないといったような空気感。それが町全体を覆っていた。

佐々:一方で、『災害特派員』にはかすかな希望も描かれていますよね。本の中では津波で夫を失った女性の出産に三浦さんが立ち会うというシーンが出てきますが、あれは読んでいて驚きました。よく取材できましたね。よほどの信頼関係がないと立ち会わせてもらえないのではないでしょうか。ある警察官のお宅では三浦さんが親子のようにして鍋をつついている場面も出てきますし、どこの家にも家族のように入っていける不思議な人だなと。でも、そういう関係だと今度は距離を取るのが難しくなってくる。「本当に書いていいのだろうか」という気持ちも出てくるでしょう? 私はすごく三浦さんの取材スタイルが気になりました。

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