東日本大震災の発生から10年を迎える。あの日、最前線の現場では何が起きていたのか。震災直後から約1年間、津波被災地の宮城県南三陸町に駐在し、目にした惨状や絶望の中を生き抜く人々の気高さを描いた『災害特派員』を2月に出版した朝日新聞記者でルポライターの三浦英之氏と、震災直後の日本製紙石巻工場(宮城県)の奮闘を描いた『紙つなげ』を刊行し、在宅介護を通じて命の終わり方にどう向き合うのかを投げかけた『エンド・オブ・ライフ』で昨年、Yahoo!ニュース|本屋大賞2020ノンフィクション本大賞を受賞した佐々涼子氏が、作品には記せなかった「取材者の本音」について語り合った。

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佐々:今回、三浦さんは10年を掛けて『災害特派員』をお書きになったわけですが、実際に読んでみて「これは相当な覚悟があって書いたんじゃないか」と思いました。遺体や被災の状態もかなり克明に出てきますし、精神的にも負担のかかるお仕事ではなかったかと。

三浦:そうですね。今回の『災害特派員』は書き上げるのに9年もかかってしまったというのが実情です。使命感というよりは、どうしても書き残しておきたいという思いが強くて。当時の最前線の情景にしても、震災の直後に海辺に行くと、ガードレールがグニャグニャと飴のようによじ曲げられていて、そこにたくさんの遺体がはりついていたりする。遺体はどれも激しく損壊していて……。津波に巻き込まれると、巨大な洗濯機の中に放り込まれたようになり、車や木などと激しくぶつかって手や頭が取れてしまうようなのです。震災直後の情景を描くと言うことは、それらの光景を一つ一つ思い出し、再認識した上で文字にしないといけないので、精神的には相当にタフな行為だったと言えるかもしれません。

佐々:冒頭から衝撃的でした。目を覆いたくなるような光景ですね。

三浦:現場にいるとですね、においでなんとなく「あっ、あそこに遺体があるな」というのがわかるんです。でも、津波の現場には軽自動車なんかがグチャグチャに壊れて転がっているんですよね。その中に閉じ込められている遺体というのはにおいがしないので、感知ができない。ふっと視点を振った時にバンと視界に飛び込んで来たりするんです。そういうのが一番、精神の随を傷つけるものでした。

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極限の被災地の中で描きたかったこと…