■大切な夢を被災者から託された若者たち

 プロジェクトは毎年、視点と手法を変えて続けられた。遺族に夢の話を聞くことは2017年のテーマだった。

「ヒントは前年のプロジェクトでした。被災者に故人や故郷あての手紙を書いてもらったところ、亡き人と夢で再会した話を書く人が多かったのです。大切な家族に向けた手紙なら、どうしても伝えたいことを書くはずです。夢の研究は私の専門外ですが、手紙を通じて遺族にとって夢がいかに大切かを知り、その意味を探る必要性を感じました」

 しかし、実際に動き出すと、夢の語り手探しは難航した。金菱さんは学生の自発性とひらめきを重視し、手取り足取りでは教えない。学生たちは家族や友人知人、新聞記事やSNSなど、考えられるだけのツテを頼り、語ってくれる人を探した。ときには災害住宅を一戸ずつ回ったこともある。断られたり叱られたりしながら、諦めずに取り組み、打診した相手は100人近くに上った。

「本が完成したのは学生の頑張りのおかげです。夢は家族にさえ教えないこともあるデリケートな話です。学生は社会経験に乏しい分、真摯に話を聞こうとしました。夢を研究対象として分析するのではなく、ひたすら耳を傾けるひたむきな姿勢に、ご遺族も『こういうことがあったよ』と諭すような気持ちで胸の内を開いてくれたのだと思います」

 語り手の話は夢のフィルターを通すと、実際にあった体験談を知る以上に悲しみや切なさ、悔しさが強くリアルに迫ってくる。そして不思議なことに、多くの夢が、触れたり、抱きしめたり、口づけをされたりという触感を伴っていた。

 ある女性は両親を津波にさらわれた。母が父より先に家族の元へ帰ってきたのは震災から3カ月後。それからさらに3カ月経った頃、女性の夢に出てきた。「どこへ行ってたの?」と聞くと、母は笑顔で「生きてたから」と答えた。そして、女性の手を取り、「ほら、触れ触れ」と言いながら、自分のほおを触らせた。ほおの柔らかさ、右手をつかむ感触は、間違いなく母のものだった。とても温かく、懐かしい。もう一度「どこへ行ってたの?」と話しかけた瞬間、女性は目が覚めた。

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