公明党副代表の斉藤鉄夫氏(撮影/写真部・高野楓菜)
公明党副代表の斉藤鉄夫氏(撮影/写真部・高野楓菜)

銀座4兄弟――緊急事態宣言下の1月、与党議員4人が深夜に「銀座クラブ通い」をしていたことは国民から強い批判を浴びた。そのうち自民党が3人、1人は公明党議員だった。平和と福祉を標榜する公明党もまた、「特権意識」に毒されているのか。公明党は、このコロナ禍に弱者に“寄り添わない”政党になってしまったのか。公明党副代表の斉藤鉄夫氏(69)に疑問をぶつけた。

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――政府のコロナ対応への不満が大きな要因となり、昨年末から1月にかけて菅政権の支持率は急落しました。連立与党を組む公明党はこれまで何をしてきたのでしょうか。

 公明党は政府よりも早く、昨年1月27日にコロナ対策本部を立ち上げました。私が対策本部長となり、とにかく現場の声を集めることに注力しました。政府や自民党ではなく公明党だからできることは、現場の「小さな声」を聞いて回ることです。我々は専門家でもなければ、官僚の強力なバックアップがあるわけでもない。でも素人でもいいから愚直に全国津々浦々の声を聞いて回る。それを基に政府に提言してコロナ対策に生かすことを実践してきました。

 たとえば、専門家会議の設置。感染拡大初期は、専門家の人がテレビでいろいろなことを言うので国民は混乱していました。「専門家が一緒に議論して、まとまった1つの意見を発信してくれたら安心できる」という声が多く上がっていた。当時は厚労省のアドバイザリーボードしかなかったので、我々は「専門家会議を設けたらどうか」と提案したのです。それで専門家会議が発足し、のちに政府の分科会となったという経緯があります。

 あとは、困窮者への支援です。昨年春に、閣議決定を覆してまで、公明党が一律10万円の特別定額給付金の配布にこだわったのも、全国から強い要望があったからです。政治家の常識から言えば「今困っている人」を助けることが基本です。だから、我々も最初は収入が減少した世帯への「30万円給付」に賛成し、閣議決定もした。でも、当時は国民全員が不安に思い、苦しむ中で外出自粛に耐えていた。党に殺到した電話などからも、国民全員が「困窮」していたことに気付かされたのです。閣議決定を覆すなど、政治の常識では考えられません。しかし、それでも山口那津男代表が安倍晋三前総理に直談判をして、一律給付に方向転換した。政治の常識よりも国民の声を優先した結果でした。

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「現場の声」と政府のズレ