「イチローに対してはエコ贔屓をしていた。そこを周囲の選手がどう考えて、自分自身で割り切るのか。アイツは別格だと割り切れればチームは機能する。自分の立ち位置を見つけて自分は自分でやる。例えば、イチローは移動なども1人だけで、大変だなと見ていた。もちろん中には割り切れない選手はいたと思うよ。でもそういう話は出なかったし、仰木さんからそういうフォローもない。逆にイチローが一緒に移動して周囲がガヤガヤするより、我々もやりやすかった。試合に間に合って結果を出せば良い、という考えが主流だった」

「大人の選手が揃った時は、仰木さんの野球ができて凄いチームになる。自らの立ち位置を客観視でき、それに向け準備できる。また突然の出番にも慌てずに対応する。他の選手の待遇や起用方法を気にすることなく、自らの責務を果たす。大人の選手がたくさんいたからできた野球。『マジック』を確立できた理由はそこだったのかもしれない」

「凄い星の下に生まれていたとは思う。野茂(英雄・ドジャース他)、イチローの監督になれる確率ってどれだけある?一緒にやってチームが結果を出して、2人ともメジャーに行って世界的な選手になった。イチローやパンチ佐藤など、登録名変更も話題となった。眼力はもちろん、タイミングの良さ、実行力などもスゴイ」(94年、仰木の発案で鈴木一朗がイチロー、佐藤和弘がパンチに登録名を変更)

「魅力ある人だった」

 仰木自身の人間性にも『マジック』を生み出す要因があったのだろう。世間で言われる『運』を持ち合わせている。状況を的確に把握、画期的に変えるアイディアを生み出す力量にも長けていた。そこに『大人』の選手が集うことで、チームとして強さが発揮された。

「現在、最も大人のチームと思えるソフトバンクの監督をやっていたら、どうなったかな?」

 4年連続日本一、NPBで飛び抜けた存在になりつつあるチームを指揮したら……。どんな『マジック』が生まれたのかを想像するのは、実際に仰木を知っているからだろう。(文・山岡則夫)

●プロフィール
山岡則夫/1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。