結果を出しているのに、試合で使われないこともある。レギュラー奪取を狙う選手や、一、二軍の当落線上の者にとっては理解し難いこともあったはず。しかし監督のやり方に慣れれば、自らのパフォーマンスを発揮、チームに貢献しやすかった。プレーしやすい環境だったと本西は語る。

「予告先発なので、前日の試合中に次の日の出番を判断できた。自分自身、相手投手との相性も分かっているから。試合当日もリードしていれば守備固めから行く。もう1点欲しい時は代走から行く。状況に応じて自分の中で準備できる。代打の時は『ちょっと振っておいてくれ』とも言われる。身体、気持ちの持って行き方が分かりやすかった」

 基本はセオリーに沿った野球を好んだ仰木だが、状況への柔軟な対応も持ち味だった。また通常では考えられないような策を取ることも、稀にあった。予想していない采配を振るった時には、当然周囲は面食らう。中心選手として黄金時代を支えた本西でさえ、信じられないこともあった。

「左投手相手に複数安打を打ったが、翌日の予告先発は右投手。『明日はスタメンではないから』と新井コーチに試合中から言われていた。遅くまで飲みに行って、翌日の試合前も寝不足だった。試合序盤、ベンチ裏で休んでいたら、田口壮が呼びに来て『代打です』と。準備なんてしてないし、『なんで?』て聞いたら、うちの打線が爆発、先発が変わって左投手が出て来たと。こっちは納得いかないよね」

 前夜の疲れも残り、試合序盤は体力の回復に努めていた。今では考えられない光景だが、それも許される牧歌的な時代。急いで準備をして打席へ向かった本西は、見事に本塁打を放った。頭がスッキリしない中でダイヤモンドを1周したが、当時三塁ベースコーチに立っていた仰木監督とのハイタッチをせず本塁ベースを踏んでしまった。

「わざとではない。監督が手を出したのが分からなかったので素通りした。後から『モト、怒ってるのか?手出してんのに』って聞かれた。『いや、ほんとに気付かなくて』という感じで、その時は終わった。まあ、交代するほど点差もついてたし代打はないだろうと思っていたからね。でも仰木さんの中で閃きがあったのかな」

 対戦相手との相性でスタメンが変わったり、監督自身の閃きなどによって起用される選手もいる。しかし一方で、チームの柱となる選手は固定して動かすことはなかった。その筆頭がイチローであり、仰木も徹底的に贔屓していた。しかしそれが許された状況であり、上手く回る環境であったからこそ、当時のオリックスは強かった。

次のページ
イチローに対してはエコ贔屓…