まだ、あちこちに津波の傷跡がみられる環境の中、子どもたちとたくさん遊んで、笑って、話に耳を傾けてきた。なくなった親のことや津波のことについて全く話さない子、話そうとするも言葉にならない子、涙が溢れ出す子など、一人ひとり様子は異なっていたが、子どもたちは常に悲しんで落ち込んでいるわけではなく、一緒に過ごす中で、様々なことを教えてくれた。遊びを通じて物を揺らして地震ごっこ、水を揺らして津波ごっこ、積み木やブロックを積んで崩して自分の住む街の再現をする子もいた。

 なくなったお父さん、お母さんに関係するモノや言葉に触れた時には、そこからかつて一緒に過ごした日々の思い出が呼び起こされる。親との死別を経験した子どもたちは、日常の中の様々なきっかけで甦る、自分自身の体験やなくなった親との思い出を整理したり、折り合いをつけたりを繰り返しながら歩んでいた。

 震災から数年間は、プログラム中に描いた絵や作ったクラフトを「これ預かっていて」と子どもたちから言われることが多かった。理由を尋ねると「もう、地震とか津波でなくしたくないから」と答える。彼らは震災によって、家族の命だけではなく、自宅や写真、おもちゃなど、様々なモノや思い出を一度に失ってしまった。幼い頃に突然、大切にしていた存在が無くなるという経験をした子どもたちなりの考えだったのだろう。

(文/あしなが育英会・山下高文)