さらにヤクルトとの日本シリーズ第5戦(10月23日)では、4対6の2死二、三塁、平野の左前安打で二塁から一気にホームを狙い、ヘッドスライディング。微妙なクロスプレーも、「僕がアウトになったら、流れが切れちゃう。必死で滑り込みました」の気迫が捕手・古田敦也の落球を誘い、同点劇のヒーローになった。

 この2つのプレーは、翌年以降のレギュラー獲りに大きく弾みをつけた。

 だが、93、94年と2年連続100試合以上に出場しながら、その後は度重なる右肘の故障に苦しみ、97年3月、選手生命をかけて「一か八か」の手術を行ったが、復活ならず。同年限りでユニホームを脱いだ。

 在籍15年でチームはリーグ優勝11回、日本一7回。西武の黄金期は、主力以外にも、羽生田のように守備、走塁などで特化した能力を持つ名脇役によって支えられていたことを改めて実感させられる。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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