「ずば抜けた投手だった。自分に対する確固たる自信や信念もあった。昔から納得しないことは、練習でもやろうとしなかった。思ったような結果が伴わないことで、焦りも生じていた。周囲の接し方も少しずつ、変わっていった。巨人という特別な球団にいることへの拘りや意地もあった。すべてが悪循環だった」(大学時代から知るスポーツライター)

 10年のドラフト1位で中央大から巨人に入団し、1年目の11年シーズンから先発としてフル回転。29試合の登板で200イニングを投げ、11勝11敗(5完投)174奪三振、防御率2.03をマークし、新人王を受賞。翌12年も10勝(10敗)を挙げ、13年にはWBC日本代表にも選出された。その後はリリーフとしての起用が増え、16年には37セーブで最多セーブのタイトルを獲得した。しかし、その間も故障や制球難などに悩まされ、先発、リリーフの役割が明確にならないまま時が過ぎた。

「最速159キロの速球と150キロを超えるスプリットは、打者からすると判別できない。フォークというよりチェンジアップの感じで打者から空振りが取れる。制球が定まっている時は手も足も出ない。逆にストライクが入らない時は、立っているだけでいい。投球練習を見ているだけで、攻略できるか判断できた」(元在阪球団スコアラー)

「アマチュア時代からマークしていた。真っ直ぐに威力があるし、武器になる落ちる球があれば米国では絶対に通用する。課題と言われる制球力も、球威があれば強く求められない。ストライクゾーンにアバウトに投げればいい。細かい部分まで完ぺきに近い投球を要求される日本では、沢村の才能を生かしきれなかった」(MLBアジア地区担当スカウト)

 ハマった時は相手打者を圧倒する力がある。対戦相手からすると沢村登板時は、調子が悪い日を願うしかない時もあったほど。また野茂英雄(元ドジャースほか)を筆頭に、MLBで活躍する投手は、「強い真っ直ぐと落ちる球」が生命線となった。佐々木主浩(元マリナーズ)や平野佳寿(ダイヤモンドバックスほか)などの前例を見ても、救援投手なら尚更そうなる。沢村にはメジャーで結果を残せる資質は十二分にある。

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選手のケアもメジャーが上?