「(移籍する前から)チームワークのいいチームだと思って見ていたので、そういう意味では大きなギャップはなかったです。(チームの)みんなが溶け込みやすくしてくれたというか、なじみやすい環境を作ってくれたんで、その辺は感謝しないといけないなと思いますね」

 今や、“過去”を知らなければ生え抜きと言われても鵜呑みにしそうなほどヤクルトのユニフォームが板についている坂口智隆も、2016年にオリックスから移籍してきた当初にそんな話をしていたことがある。彼に限らず、他球団からの移籍組も、ドラフトで入団してきたルーキーも、多くの選手がチームへの「溶け込みやすさ」を口にする。

 当時、坂口は「ファンの方も本当に温かいというか、実際に温かい言葉もたくさんかけてもらいました。キツいヤジとかも印象にないですし、非常に温かい声援を送ってもらったんでね、そういう意味でも溶け込みやすかったです」とも話していたが、本拠地の神宮球場に足を運ぶファンも実に温かい。いくら負けが込んでも、スタンドから罵声を浴びせるようなことはめったにない。それも1990年代に入るまで優勝は1度きりで、Aクラス入りも数えるほどしかなかった「弱小時代」からの“伝統”と言っていい。

 そうした溶け込みやすさは、年を重ねるごとに居心地の良さとなり、チームへの愛着は増していく。愛着のある球団で、良き仲間と共に優勝を目指したい──。冒頭の小川のコメントは、それを如実に表すものだ。もっとも、もしヤクルトが2015年に優勝していなかったとしたら、それでも彼は同じ気持ちになっていただろうか?

 小川がドラフト2位で入団してからの8年間でヤクルトがAクラス入りしたのは、優勝した2015年を除けば1度だけ(2018年2位)。一方で、この間に最下位は5回を数える。それでも優勝の喜びを分かち合った思い出があるからこそ、「苦楽を共にした仲間ともう一度、優勝したいという気持ち」になったのではないか。

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近い将来、「温かいファン」に応えることはできる?