そういう意味で「人は学歴じゃない」という言葉が、ビジネスの現場ではリアリティーを持って語られるのです。

 ジャスミンさん。ジャスミンさんが息子さんに一番、望むことはなんですか?

 幸せになって欲しいことですか? 近所で胸を張れる高学歴ですか? 世間に自慢できる大企業に就職することですか?

「生涯賃金と高学歴には相関関係があっても、幸せと高学歴はイコールじゃない」なんて手垢のついたことを言おうと思いましたが、そもそも、ジャスミンさんは息子さんの幸せを問題にしてないですよね。相談の内容は、「息子が無名の大学に入って悲しんでいるのがつらい」ではなく、「息子が無名の大学に入って恥ずかしい」ですものね。

 ジャスミンさん。僕の言葉がきついと感じますか。

 僕がこんな言い方になるのは、息子さんに深く同情しているからです。

 僕の勝手な推測ですが、息子さんは「子供の幸せのため」ではなく、「近所の見栄や評判のため」に勉強を強制するジャスミンさんへの反発として、中学・高校時代、勉強を拒否したんじゃないかと感じるのです。

中学受験は子供と親の両方の努力が必要で、私も息子も本当に頑張ったと思います」と、ジャスミンさんは書かれています。

 子供には子供の努力、母親には母親の努力があることを僕は否定しません。ですが、一番しんどく苦しいのは、受験をする当事者である子供だと僕は思っています。

 そんなことはない、母親も大変なんだとジャスミンさんが仰るかもしれないからこそ、今から有名大学を受験したらどうですかと真剣に提案しているのです。

 受験当事者の努力や苦しみと応援者の努力や苦しみの違いが分かるんじゃないかと思うのです。

「息子には言っていませんが、息子の大学を恥ずかしく言いたくないのです」とジャスミンさんは書かれていますが、息子さんが気付かないはずがないと思います。小学校からずっと「勉強しろ」と言われ続けたのです。ジャスミンさんがこの文章を読んでいるこの瞬間も、息子さんは「母親は納得していない。母親は僕の大学を恥ずかしいと思っている。育て方を失敗したと思っている。教育方針を変えたら、僕を変えられると思っている。母親は僕の人生を母親自身が恥ずかしいと思わないものに変えたいと思っている」と分かっているはずです。

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どういう点で「母親失格でしょうが」と思ったのか?