最高峰のリーグNHLを目指す平野裕志朗(写真提供・横浜GRITS)
最高峰のリーグNHLを目指す平野裕志朗(写真提供・横浜GRITS)

 横浜グリッツ・平野裕志朗。

【写真】平野選手の所属する横浜GRITSのプレイヤーたち

 アイスホッケー(以下IH)界の最高峰に最も近いとされる男。しかし現状はコロナ禍など、多くの障壁が立ち塞がる。それでも前向きに爪を研ぎ続け、その時が来るのを見定めている。

「日本代表を辞退して北米の所属チームに残るかもしれない」

 日本代表FWの平野だが、イチ選手として目指すのはNHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)だ。

 昨年は、ECHL(野球の2A相当)ピッツバーグ・ペンギンズ傘下ウィーリング・ネイラーズで主にプレー。チーム2位となる57ポイント(19ゴール、38アシスト)をマーク。1月にAHL(同3A相当)同ウィルクスバリ・スクラントン・ペンギンズと契約、4月の最終戦で1アシストを記録した。

「個人を考える時期かもしれない。代表の責任が自分への負担にもなりかねない。今までは行ける範囲では代表に行っていた。でも今後は自分が上に行けるチャンスがあるならば、その選択肢もある。もちろん代表で五輪に行くのは夢の1つ。熱量は変わらないが、自分の結果を出すことも日本ホッケー界のためになると思う」

 今年からはECHLバッファロー・セイバーズ傘下シンシナティ・サイクロンズと契約した。昨年はペンギンズGMがたびたび視察に訪れ、「長い目で成長させたい」と語っていた。しかし冷静に考えると時間は残されていない。選んだのは移籍であり、冒頭のような日本代表としての葛藤がついて回る。

「GMの言葉もモチベーションになっていた。そこへサイクロンズの監督が直接電話をくれた。『19得点挙げているが、うちに来たら30ゴール挙げさせてやる。お前みたいなシューター、アグレッシブにプレーする選手が必要』と。リーグで毎年上位争いをしているチーム。自分も25歳と決して若くない。チャンスもそんなに残っていない。新チームで新しい発見があるはずと感じた」

 北海道・苫小牧市生まれ。父・利明が古河電工、伯父・克典が王子製紙でプレーしており、IHがあるのが当然の環境だった。白樺学園高3年時には、主将で八戸インターハイ優勝。卒業後、スウェーデン『ティングスリードU20』、米国のUSHL『ヤングスタウン・ファントムズ』とジュニア・リーグを経て、14年にアジアリーグ『東北フリーブレイズ』に加入。15年シカゴ・ブラックホークス、16年サンノゼ・シャークス(共にNHL)とルーキーキャンプに招待参加した。昨年トライアウトに合格して北米でプレーし、今年は更なるステップアップを目指していた。

次のページ
重要な時期にコロナ禍が…