不登校新聞編集長の石井志昂さん(提供)
不登校新聞編集長の石井志昂さん(提供)
東ちづるさん(不登校新聞提供)
東ちづるさん(不登校新聞提供)
数学者の森毅さん(不登校新聞提供)
数学者の森毅さん(不登校新聞提供)

 本日1月16日、「大学入学共通テスト」の初日が実施されました。この先、大学入試だけでなく中学入試や高校入試なども予定され、受験シーズン本番を迎えます。しかし今年は例年以上に苦労をしている受験生も多いでしょう。コロナ禍で、一斉休校もあり、緊急事態宣言も出ました。思うように実力が発揮できずに悔しい思いをしているかもしれません。不登校新聞編集長の石井志昂さんが、自身の受験の“失敗”とその呪縛から解き放たれたきっかけを振り返ります。

【女優】芸能界で活躍するきっかけは大学受験の失敗だった

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 私自身も受験失敗に苦しみ、不登校になった経緯があります。私が苦しんだのは私立中学校の受験でした。当時の様子は今でもよく覚えています。

 受験日は母親といっしょに試験会場に向かいました。移動中もテキストを片手にギリギリまで試験のポイントを復習し、1点でも多くと意気込んでいました。試験会場に着き、予想以上に多くの受験生がいたことに緊張もしました。しかし、試験が始まり問題に目を通すと「どれも解けそうだ」と安堵しました。もちろん苦労した問題もありましたが、結果には手応えがありました。ところが家に帰ってから自己採点を始めると青ざめてきました。自信を持っていた回答ほど不正解だったからです。案の定、第1志望は不合格でした。

 母と2人で自分の受験番号がないボードを見つめた時間は、親に申し訳ない気持ちや恥ずかしさが入り混じった複雑な気持ちでした。その後、母からも塾の講師からもこんな言葉をかけてもらいました。

「ケアレスミスが多いから落ち着いてやれば大丈夫」

 ところが、私は受験失敗の混乱を、次の日も引きずってしまいました。第2志望の試験も不合格。以後も、受験を続けましたが予定していた第6志望まですべて落ちてしまいました。第2志望の試験が終わってからは、ほとんど記憶はありません。ただ、連日のように母が受験結果を見に行き、「ダメだったみたい」と私に告げる瞬間だけはよく覚えています。

 受験に失敗した私は「自殺願望」を抱えてしまいます。電車の踏切音を聞くと「跳ねられたら楽になる」と思ったり、高層マンションにあがると「ここから降りたら楽になる」と思ったりもしていました。そんな私に両親は心を砕き、周囲の大人も気にかけてくれましたが、どんな言葉も私の胸には届きませんでした。受験失敗は尾を引き、2年後、不登校になっています。

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石井志昂

石井志昂

石井志昂(いしい・しこう)/1982年、東京都町田市出身。中学校受験を機に学校生活があわなくなり、教員や校則、いじめなどを理由に中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からNPO法人全国不登校新聞社が発行する『不登校新聞』のスタッフとなり、2006年から編集長。これまで、不登校の子どもや若者、識者など400人以上に取材してきた

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