菅氏が強調する「自助」の原点はここにあったのだ。その後、96年に菅氏は国政に初挑戦する。市議を2期務めた後の衆院選だった。

「『早すぎる。もう一期(市議を)やってもいいんじゃないか』というのが、周囲の大半の評価でした。ですが菅さんは、自民党の現職議員がもっとも恐れる野党候補の選挙区から『出馬したい』と名乗りでた。誰も戦いたくない相手だったから、あっさりと公認をとりつけてしまったのです。小選挙区比例代表制が導入されたタイミングで、現職議員たちがどの選挙区から立候補するか探り合いを続けている状況でした。周囲からは無謀と思われても、本人は勝算があると判断した。そうして3期目となる市議選には出馬せず、1年間浪人して衆院選に備えた末、勝利しています。この時も一番の助けとなったのは、自分自身の判断だったのです」

 国会議員としてステップアップしていくなかでも、菅氏の中心にあったのは「自助」の精神だった。財部氏によれば、それを象徴する出来事が、自民党が大敗した2009年の衆院選で見られたという。選挙後、菅氏は隣接する神奈川3区で大敗した自民党の小此木八郎衆院議員に『自助論』を手渡した。

「これは、自助の考えが菅さんのベースにあることを象徴するエピソードです。自助の力を信じて勝ってきた菅さんと、御曹司で、父親から譲り受けた地元の地盤、高い知名度など背景に当選を続けてきた小此木さん。そんな後ろ盾を持ちながら落選した(当時の)小此木さんには、自助の気持ちが欠けているのではないか、と菅さんは考えたのだと思います。言葉には出さずとも、『自助論』を渡すことで、それとなく伝えたかったのです」

 時にかたくなに見える菅氏の言動や行動は、「自助」の観点から読み解くと、すんなりと理解できる。「やると決めたらとことんやる」というスタンスは、首相就任後も変わっていない。

「例えばGoToトラベル。年末年始は止めましたが、それまではどんなに批判をされても、なかなかやめなかった。菅さんのGoToに対する固執が見られます。公助や共助は、自助を支えるためのもの。人間も経済も、自律しないと持続可能にならない。本人が自分の力を見限ってしまっては、共助や自助があってもダメなのです。GoToへのこだわりは、そうした菅さんのメッセージでもあるように思います」

次のページ
「言われるほど口下手ではない」