■獪岳の生育環境と、彼の孤独

 なぜ獪岳はこんなにも心に余裕がないのだろう。それは彼の過去に由来する。

<地面に頭をこすりつけようが 家がなかろうが 泥水をすすろうが 金を盗んだことをののしられようが 生きてさえいれば いつか勝てる 勝ってみせる そう信じて 進んできたんだ>(第17巻 145話「幸せの箱」)

 この獪岳のセリフには、彼の育ってきた環境の劣悪さが示されている。その後、自分を保護してくれた悲鳴嶼との生活も、桑島との修行の日々も、獪岳の心を救うまではできなかった。いずれの家ですごした時間も、他に獪岳と同じような立場の子どもがおり、自分だけが愛される経験には至らなかったからだ。「テメェと俺を一緒にすんじゃねぇ!!!」、「俺は特別だ お前とは違う お前らとは違うんだ」など、獪岳のセリフには、自分だけを見つめてほしいという切望がにじんで見える。

 しかし、桑島は獪岳にしっかりと愛情と注いでいた。善逸には「獪岳を見習え!!兄弟子のようになれ!!」と言い続けた。桑島が「介錯なしの切腹」という壮絶な最期を選んだのも、獪岳が自分の大切な弟子だからこそ、鬼になった獪岳の罪を「自分の罪」として受け入れたからだ。

 そして、善逸はどんなに獪岳から疎まれようと、その後ろ姿を追いかけた。獪岳の悪口を言っていた上の階級の隊士に怒り、殴りつけたこともある。「特別だったよアンタは 爺ちゃんや俺にとって特別で大切な人だったよ」、「ごめん兄貴」と心の中で獪岳に語りかける善逸の言葉にうそはない。しかし、孤独にとらわれた獪岳の心に、桑島と善逸の真意は届かなかった。

 では、どうすれば彼の心を救済することができたのだろうか。獪岳の心の中にある「穴の空いた箱」を埋めるために必要だったものは何か。

■すれちがう心、足りない言葉

 獪岳は自分の生き方を変えようとしたことが、一度だけあった。悲鳴嶼たちが鬼に襲われた後に、獪岳は鬼殺隊への入隊を目指す。鬼に襲われ、仲間を裏切り、九死に一生を得たあの事件は、少年時代の獪岳にとって、相当恐ろしい体験だったと思われる。にもかかわらず、獪岳は鬼滅の剣士をこころざした。獪岳の心の底に、悲鳴嶼たちが鬼に襲われたことを悲しむ気持ち、自分の弱さへの後悔があったのではないか。

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伝えるべきだった「純粋な気持ち」