表情や口の動きなど、言語以外を用いた情報伝達を「非言語コミュニケーション」と呼ぶが、同分野の第一人者レイ・L・バードウィステルは「二者間の対話では、言語によって伝えられるメッセージは全体の35%で、残りの65%は話し方や動作など言葉以外の手段によって伝えられる」と述べている。認知症によって敏感さが低下しているところに、そうした情報の大部分がマスクによって隠されてしまうのだから、話が伝わらないのも無理はない。

 これはコロナ禍にあって大きなジレンマだ。マスクをつけているとコミュニケーションがしづらい。一方でマスクを外せば感染リスクを高めることになる。もし認知症の人と接する際にはどのようなことを心がけるべきなのか、改めて佐藤教授に尋ねた。

「マスクで口元が見えない状態で会話する場合には、まず、話しかけているということをわかってもらう必要があります。そのためには手を握ってみるとか、肩に触ってみるなどして、注意を向けてもらい、その注意を持続してもらいながら、正面から目を見て、(マスクで声がくぐもりがちなので)ゆっくり明瞭に話すことが大事だと思います」

●草の根の声から生まれた「口が見えるマスク」

 マスクを改良することでこの問題に向き合おうという動きもある。前出の介護支援専門員・但田さんの友人で、布小物作家の上中まやさんは2020年5月、マスクの口を覆う部分をビニルシートで透明にした「シースルー愛マスク」を製作し、販売を開始。中日新聞に取り上げられ、大きな反響を得た。どのような思いで製作したのかを尋ねた。

「もともとは聴覚障がい者の支援のためにつくったマスクでした。手話教室の方々に協力をいただいて学んだのですが、手話は手の動きだけでなく、口の動きや表情も見えないと伝わりづらいのです。マスクで口元が見えないと困る人がいるということは大きな気付きでした」

 試作品をつくる過程をSNSで公開すると、介護施設などで働く人々からも関心が集まり、いくつかの現場で試験的に用いられるようになった。協力者は何人もいた。そして「布地がカラフルだと認知症の人は色が気になってしまい、口の動きを見てもらえない」等のさまざまな改良案が集まり、現在の形になったという。

「他者に対する思いやりを大勢の人がもっていたからこそ、このマスクは生まれたのだと思います。今年は暗い気持ちになるニュースが多かったですが、そんな状況でも立場の弱い方々のために試行錯誤をしたり、このマスクを買ってくれたりした方がたくさんいたということ。世の中にはまだまだ愛が溢れているのだと強く実感できた経験でした」

 但田さんも介護現場でこのマスクを利用する1人だ。認知症の人からの聞き取りの際に着用したり、若手介護士の研修の際に活用したりしている。一方で、コロナ禍という状況下で介護を続けるうちに、たどり着いたひとつの結論があるという。

「認知症の人々とコミュニケーションをとるうえで大切になるのは、彼らがどのように世界を認識しているのかを理解することです。それはすなわち、相手を敬い、尊厳を守るということ。心の内を知り、その人の内なる世界を尊重すること。それは突き詰めて言えば、これはコロナ禍や認知症と関係なく、人が人と接する上で当たり前のことだと思うのです」

 65歳以上の高齢者は2025年には3657万人に達すると予想され、今後ますます認知症の人々との距離感は身近なものになるはずだ。上中さんや但田さんらの活動は、そうした事態に社会が向き合う際の、ひとつの指針を示してくれる。(文・小神野真弘)