Photograph:Kentaro Kase(アエラスタイルマガジン Vol.49より)
Photograph:Kentaro Kase(アエラスタイルマガジン Vol.49より)
Photograph:Kentaro Kase(アエラスタイルマガジン Vol.49より)
Photograph:Kentaro Kase(アエラスタイルマガジン Vol.49より)

2018年に三菱商事からアシックスの社長に就任した廣田康人氏。ゴールドパートナーとして五輪特需に沸くはずだった本年は一転コロナ禍となった。だが、逆風のなかで見えてきた景色もある。日本発のグローバルスポーツブランドが見いだした新しいフェーズを語ってもらった。

【写真】これがアシックスの3次元足形計測サービス

モノづくりからデジタルの可能性へ

「都内での撮影ならあそこがいいんじゃないの」

 社長みずから提案したと聞いた。2019年に豊洲にオープンした『アシックス スポーツコンプレックス 東京ベイ』。川の対岸には選手村、低酸素トレーニングができるジムとしては世界最大級の施設である。

 東京五輪で大きく飛躍するはずの2020年、コロナショックによるダメージは少なくなかった。一方で、課題であったデジタル戦略は10倍速で進んだ。スマートシューズや健康寿命を予測できるシステムなどアシックスならではの知見とAIを合わせた製品にも期待がかかる。同時にレース参加からトレーニングまで一貫サポートするデジタルサービスも構築中だ。廣田自身、大会出場経験も多いがジムのランニングレーンでこう言って笑った。

「フルマラソンって走っている最中はだいたいつらいんですよ。なぜ、出場してしまったのかとも考えます。なのに、不思議なんですがね。ゴールするとまた次を申し込んでしまうんですよね」

「外から来た社長」に期待されてるのは改革です

 3年前はいまの立場を想像してもいなかった。17年秋、廣田は三菱商事の関西支社長として大阪に赴任していた。

「うちに来て社長にならないか?」。アシックス現会長で当時の社長である尾山 基氏から声を掛けられたのは青天のへきれきだった。「驚きのあまり、『そうですか』としか言えなかった気がします」

 そんな廣田がなぜオファーを承諾したのか。

「やはり面白さを感じたんですね。会社を任されるということに。何よりもそれがアシックスであったということに。私は50歳でランニングを始めましたが、偶然にも最初のシューズからずっとアシックスを履いていたんです」
 
 18年1月に顧問として入社し、同年3月に社長に就任した。顧問時代は尾山が作成したプログラムに沿い、靴の生産や販売の現場、マーケティングを学び数多くの人間と会った。

「とはいっても、まったく違うわけですよ。話を聞いて自分のなかに浮かんだ光景と、実際に社長になってみて見える光景というのは」

 就任1年目で従来の開発、販売、マーケティングといった部署単位から商品カテゴリー別の製販一体型へと組織体制を改変した。

「それまでは神戸本社でモノを作り、販売会社がモノを売りと機能がはっきり分かれていたんです。事業がうまく回っているときはそれでいい。アシックスでいえば05年から15年までずっと右肩上がりでしたから。ですが、業績が伸び悩むと『売り方が悪いせい』『いや、商品のせい』といった悪循環になりかねない。そこを打破するために必要な組織改編だと考えたんです」

 導入2年が経過してモノづくりをする人、売る人とが一体になってきた感触があるという。一方で「外から来た社長」の大改革ときてやりづらさを感じることはなかったのだろうか。

「ありがたいことにアシックスには『外から来た人間』が珍しくはないんですよ。そもそも売り上げの海外比率が7割以上の会社です。海外の社員も多いわけです。(改革に際し)受け止め方は人それぞれだったとは思いますが、みんなで議論してやろうと決めたことは最後までやり抜く社風もある。何より、こうした改革って『外から来た人間』じゃないとできません。僕に期待されているのは改革だと思っていましたから」

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コロナ禍とどう向き合ったのか?