前年、日本シリーズで西武を4タテで一蹴し、就任1年目で日本一を達成した原監督だったが、V2を狙った03年は、不動の4番・松井秀喜がヤンキースに移籍したことから、チームのバランスが崩れ、スタートダッシュに失敗。星野阪神の独走を許す結果となった。

 さらに巨人は、8月下旬以降、チームの調子が下降し、9月5日からの広島戦に3連敗すると、横浜、ヤクルトとの2連戦にもズルズル連敗。阪神が18年ぶりVを決めた同15日の中日戦にも2対8で敗れ、8連敗となった。

 チーム一丸となって連敗脱出をかけた翌16日の中日戦も、初回に3本の二塁打で2点を先制したのもつかの間、その裏、アレックスの3ランなどで逆転され、6回に一挙12点を失うなど、球団ワーストタイの19失点(2対19)で大敗。1イニング12失点は球団ワースト新、1試合19失点も6月11日のヤクルト戦に続いてシーズン二度目(通算三度目)の屈辱だった。

 そして、この歴史的大敗と泥沼の連敗に不満を抱いた渡辺恒雄オーナーが「19日からの阪神戦で3連敗したら、(監督留任の)話は別だ」と発言したことが、大きな波紋を巻き起こす。

 阪神戦では意地を見せて2勝1敗と勝ち越した原監督だったが、その後、三山秀昭球団代表との確執も表面化し、同26日、「読売グループ内の人事異動」という名目で、監督辞任を発表した。巨人の新監督が2年目に退陣するのは、2リーグ制以降初の事態だった。

 しかし、後任の堀内恒夫監督は、05年に球団史上初の80敗で5位転落するなど、チームはさらに低迷。06年から原監督が再び指揮をとるが、巨人の日本一奪回は、09年まで待たねばならなかった。

 前出の9連敗を上回る“連敗地獄”にはまり込んだのが、高橋由伸監督時代の17年だ。

 5月25日の中日戦で1対6と敗れたのが、長いトンネルの始まり。同26日からの広島3連戦でも3連敗し、菅野に連敗阻止を託した同30日の楽天戦でも、まさかの8失点KO。6月1日には則本昴大に12奪三振を喫するなど、2カード連続の3連敗のあと、オリックスにも3連敗し、ついに10連敗となった。

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屈辱をバネにリベンジ