<守りたかったものはもう 何一つ残っていないというのに 家族を失った世界で生きていたかったわけでもないくせに 百年以上 無意味な殺戮を繰り返し なんともまあ惨めで 滑稽で つまらない話だ>

(第18巻 155話「役立たずの狛犬」)

 しかし、猗窩座がどんなに長い時を生きても、どんなに強くなっても、猗窩座のもとに家族が帰ってくることはない。『鬼滅の刃』において、「死」は厳然とすべての人の前に横たわる。

■「弱い」鬼・猗窩座

『鬼滅の刃』は不思議な物語である。愛する人たちの「生」のため、鬼を倒そうとするヒーローたちが自らの生命を他者のためになげうち、永遠の生命を持っているはずの鬼が誰よりも「生」に執着している。猗窩座の執着は、自分の命ではなく、愛する人たちの「生」に向かって示される。

<俺は死んだってよかったのに 親父の為なら 親父の為なら!!>

(第18巻 154話「懐古強襲」)

 人・狛治は、鬼・猗窩座に変わることで何を得たのだろうか? 人から鬼になることによって、何を喪失したのだろうか? 鬼滅ファンの間では、猗窩座は、かつての人間の時の要素を強く残したままの鬼、と定義されているが、はたして「人・狛治=鬼・猗窩座」なのか。

<弱い奴は 辛抱が足りない すぐ自暴自棄になる “守る拳”で人を殺した 師範の大切な素流を血塗れにし 親父の遺言も守れない そうだ俺が殺したかったのは>

(第18巻 156話「ありがとう」)

 猗窩座は、炭治郎と冨岡義勇(とみおか・ぎゆう)との戦いの最後に、「弱い自分=猗窩座」と決別し、人・狛治に戻る。猗窩座が鬼になったのは、愛する人を守るための「強さ」が欲しかったからで、もうその約束が果たせないことを悟った瞬間に、狛治の心を取り戻す。自分の人生が終わったことを受け入れ、愛した家族の死を認めることができた。鬼・猗窩座は、人・狛治の後悔の残滓であり、自分への憎しみが膨れ上がったものだった。それを猗窩座が、狛治自身が認めた時、父と、師と、婚約者が、ありのままの自分を愛していてくれたことを思い出したのだった。

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最後にわかるセリフの「矛盾」の意味