■猗窩座はなぜ「強さ」を求めるのか?

 猗窩座は、鬼になった理由を「純粋に戦闘を極めたいため」と語るが、実際はそうではない。猗窩座が人間だった頃、彼は貧しさから父親を亡くし、恩人である師と婚約者を毒殺されたという過去を持つ。猗窩座は大切な人たちの死の場面に立ち会うことすらできなかった。自分の力がもっともっと強かったらという後悔の念が、猗窩座を鬼へと変貌させたのだった。

 鬼・猗窩座を「はかなく美しい人間の一生」から遠ざけたのは、「自分の大切な人の死を受け入れられない」という感情だ。猗窩座は戦っている間は、まだ「途中」であり、その人生の最後から目をそらすことができる。自分が愛した人たちが、自分を残して先に逝ってしまったのだという事実を、いったん無かったことにして、永遠の時を生き続ける。そして、彼の人生に「もし」という可能性があったとしたら、次は、父を、師を、婚約者を今度こそ守れるようにと、「強さ」を追い求めたのだ。猗窩座は自分の「弱さ」を憎んでいる。猗窩座の心は、後悔だけで満ちている。

<俺は 大事な人間が危機に見舞われている時 いつも 傍にいない 約束 したのに>
<結局 口先ばかりで 何一つ 成し遂げられなかった>
(第18巻 155話「役立たずの狛犬」)

 猗窩座が鬼として生きることを選んだのは、彼の心が単純に「弱い」からではない。繰り返し大切な人の「生」を取りこぼしてしまったことを、「自らの弱さ」のせいだと責めたがゆえに、「鬼」として「不幸せな永遠」を生きる選択をせざるを得なかったのだ。表面的には、人間でいたときの狛治(はくじ)の頃の記憶は封印している。しかし、強さを極める行為の継続によって、無意識下で、思い出の中だけでも、亡き師とその娘との生活も継続させようとしていたのではないか。自分の亡き師とよく似た炭治郎によって「正しい敗北」に帰するまでは。

 猗窩座の強さへの憧憬は、あくまでも愛する人たちを守り抜きたかった、という思いから発する。漫画『ドラゴンボール』の主人公・悟空がただただ強さを追い求めたのとは、動機がまったく異なる。猗窩座は自分が強さを極めることによって、愛する者を失わなかったかもしれない、周囲の人々を守りぬけたかもしれないという「虚構の中の自分」を夢見たのだ。

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実は「弱い」鬼だった?