翌77年も、江川卓と同期の法大主将・金光興二が「(地元)広島指名なら、断る理由がない」と表明していた。だが、8番くじで地元の左腕・田辺繁文(盈進高)を1位指名した直後、内野手不足に悩む近鉄が“広島以外NG”を承知で強行指名。結局、3人とも入団を拒否している。

 そんななかで、80年のドラ1左腕・川口和久(デュプロ)は、スカウトとの“共同作戦”が功を奏し、広島入りの夢を叶えている。

 鳥取城北高時代の77年、「社会人でもっと力をつけてから」とロッテの6位指名を拒否した川口は、3年後の広島入団を希望し、木庭教スカウト部長に相談した。

 授けられた秘策は「故障のフリをしろ」だった。川口は言われたとおり、肘痛を理由に登板を回避し、大洋の別当薫監督が噂の真偽を確かめに来たときも、大げさに痛がる演技をしたという。

 かくして、故障を信じた他球団は手を引き、広島は川口の“一本釣り”に成功。昔のドラフトは、水面下の駆け引きもドラマチックだった。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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