その広島も、14年にアマでほとんど実績のなかった薮田和樹(亜大)を2位指名している。

 岡山理大付高時代は、肘を痛め、3年夏の県大会も2試合2イニングの登板にとどまった。亜大でも1年先輩の九里亜蓮(現広島)や同期の山崎康晃(現DeNA)の陰に隠れ、リーグ戦でも、3年春に2試合1回0/3、打者4人に投げただけ。同年の全日本大学野球選手権で2イニング投げ、勝利投手になったのも含めて、公式戦登板はわずか3試合。4年のときは、肩痛で1試合も登板できなかった。

 ふつうならドラフトにかかるはずがないのだが、ひょんなことから、プロ入りへの道が開ける。

 広島でタクシーの運転手をしていた母が、偶然松田元オーナーを客として乗せ、「ウチの息子が亜大で野球をしていて、すごく速いボールを投げるんですよ」と売り込んだのが縁で、亜大OBの松本有史スカウトが出動。その潜在能力が高く評価され、“隠し玉”として指名されたのだ。

 1年目に巨人からプロ初勝利を挙げた最速156キロ右腕は、17年に15勝3敗3ホールド、防御率2.53の好成績で、最高勝率のタイトルを獲得。広島のV2に大きく貢献した。

 ちなみに亜大は、薮田の同期・大下佑馬も社会人経由でヤクルト入り。与田剛(現中日監督)、弓長起浩(元阪神)、川尻哲郎(元阪神など)、久本祐一(元中日など)ら、大学時代はあまり登板機会に恵まれなくても、社会人で素質開花した投手が多いのも大きな特徴だ。

 甲子園常連校の出身ながら、公式戦で一度も投げていないのに、92年、広島に8位指名されたのが、仙台育英高の左腕・高橋顕法だ。

 同校は、高橋の在校中、91年夏を除いて春夏の甲子園に4回出場しているが、肘や腰など故障続きだった高橋は、ベンチ入りすら叶わなかった。これでは、いくら名門校の部員でも、大学や社会人からは声がかからない。卒業後も野球を続けたかった高橋は、最後の手段として広島の入団テストを受けて合格。巨人のドラ1・松井秀喜(星稜高)の同期生として、全体の最後の78番目に指名された。

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