■16世紀の魔女と差別の問題

 その後も黒死病はたびたび流行した。『魔女をまもる。』の中でもヴァイヤーの師アグリッパが黒死病患者の治療に奔走している場面がある。しかし、意外かもしれないが、黒死病の流行が魔女の仕業とされたという例は皆無に等しい。

 感染症の大流行、地震や洪水など大規模な災厄は、神の裁きと懲罰とみなされた。なかでも感染症は聖書解釈に基づいて神の怒りと結びつけられ、それを防ぐには神の怒りを引き起こした人間の悪を避けることが必要であるとされたのである。一方、魔女が引き起こすことができた病は隣人や家畜に対する突発性のものだった。

 ある女が、隣人にミルクや酵母をめぐんでもらいに行ったところ拒絶され、罵り言葉を吐いたあと、相手が突然死するなどの不幸が起こり、魔女として告発されたという類の史料がいくつもある。

 16世紀以降の魔女狩りで裁かれた魔女の実像は時代と地域によって千差万別だが、その最大公約数的な姿は「貧しい老女」である。当時、女性一般は人類最初の女イヴと同一視される存在だった。

 旧約聖書『創世記』に記されているように、イヴは蛇(悪魔)に唆され、神が食べるなと命じていた善悪を知る木の実を男アダムとともに食べてしまう。その結果、人類はエデンの園から追放され、死を不可避のものとして担うことになった。女は悪魔に誘惑されやすい存在であり、人類に死をもたらした張本人なのだ。男アダムのあばら骨から創造された女であり妻であるイヴは、男であり夫であるアダムに従わなければならない。家父長制が進展した近世ヨーロッパではこの原理が再確認された。

 またこの時代、資本主義の進展とともに貧富の差が拡大した。中世のような相互扶助の精神は次第に影を潜め、貧しい人々に対する眼差しが厳しくなった。各地で貧民・浮浪者が社会問題化し、様々な施策が取られ始めるのは16世紀である。

 人生で何度か訪れる貧困化のサイクルのうち、最悪期は老年期といわれたが、独身の老女は家庭と夫の保護から外れた存在であるため、より貧困に陥りやすく、家父長制という社会規範からも逸脱する存在として怪しまれた。「貧しい老女」は当時の社会の負の価値の集約点に存在したのである。

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未曽有の災厄に見舞われたとき、人は差別対象を作り上げる…