ヨーハン・ヴァイヤーの肖像画
ヨーハン・ヴァイヤーの肖像画
ヘンリクス・コルネリウス・アグリッパの肖像画
ヘンリクス・コルネリウス・アグリッパの肖像画

 社会で「常識」として信じられていることに異を唱えることには大変な勇気が必要だ。それも現在のSNSの投稿で見られるように匿名によってではない。実名で公然と自分が正しいと信じる見解を述べ、そして実際に行動を起こすのである。

【医師・ヴァイヤーに多大なる影響を与えた師・アグリッパの肖像はこちら】

 魔女狩りが猛威をふるった今から450年前のヨーロッパに、「常識」だった魔女狩りに異を唱え、魔女とされた人々を救おうとした一人の勇敢な男がいた。現在SNSでも話題の歴史漫画『魔女をまもる。』(槇えびし著/朝日新聞出版)の主人公、医師のヨーハン・ヴァイヤーである。さらに、そんな彼に多大なる影響を与えた師、ヘンリクス・コルネリウス・アグリッパ。実在した二人の人物像と時代背景を、太成学院大学教授で西洋近世史が専門の黒川正剛氏に寄稿していただいた。

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■自分の命を顧みず、「魔女狩り」の常識を医療の観点から覆す

 当時の「常識」は、悪魔と結託した魔女が実在し、異常気象や不作、原因不明の突然の病や死を人間や家畜にもたらすがゆえに、魔女は火炙りによって絶滅させなければならないというものだった。ヨーロッパでは15世紀から18世紀までに5万人が魔女として処刑されたと言われている。

 このような時代において、「常識」に公然と反旗を翻すことは、自らが魔女の一味とみなされて断罪され、命を落とす可能性をもたらす。しかしその恐れも顧みず行動を起こしたのがヴァイヤー、そしてその師であり稀代の大魔術師と言われたヘンリクス・コルネリウス・アグリッパだった。

『魔女をまもる。』の主人公ヴァイヤーと準主人公とも言ってもよいアグリッパはどのような人物だったのか。

 ヴァイヤーは1563年、『悪魔の幻惑について』という大著を出版した。折しもヨーロッパ各地で魔女狩りの波が高まり始めていた頃である。彼の主張は次のようなものだった。魔女と言われている者たちは一般的に老女であり、老化にともなって体内に蓄積される黒胆汁過多の影響により、ありもしないことを想像しているにすぎない。それらは黒胆汁過多によって引き起こされるメランコリー(憂うつ)の症状で、魔女は火炙りにするべきではなく、医師の手に委ねるべき患者であるとした。

 一方、魔女が箒にまたがり空中を飛行して魔女の夜宴、サバトに赴き、悪魔を崇拝して神を冒涜し、誘拐した幼児の肉を食べ、魔術を行い、人畜を殺傷する行為は現実のものではないとした。 

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激烈な批判を受けたヴァイヤー