■告白タクシー

 もう7年近く前の、師走の夕暮れ時のことである。

 日本交通の上野俊夫(仮名・56歳)は築地界隈を流していて、交差点近くにひと組の男女が立っているのを視界の端に捉えた。銀座の東京湾側に位置する築地は、ぎりぎり「なか」の一部分である。

 雪でも降り出しそうな鈍色の真冬の空の下、並んでタクシーを待っている年齢差のありそうな男女の姿は、恋人や夫婦というよりも、上司と部下といった風情である。上野が路肩に車を寄せてドアを開けると、案の定、年嵩らしい男性が若い女性にタクシーチケットを手渡しながら、こう言った。

「このタクシー、うちの会社のチケットが使えるから持って行きなさい」

 女性は素直にチケットを受け取ると後部シートにおさまって、東京の西部にある街の名前を告げた。

 東京の東の外れに位置する築地から帰ることを考えれば、たしかに近いとは言えない距離である。しかし長距離とも言えない、ぎりぎり中距離の範囲内だ。しかもまだ夕方である。雪になって電車が止まる心配でもしたのかもしれないが、上野は上司らしき男性の言葉から女性に対する“特別な配慮”を感じ取った。タクシードライバーは、乗り込んで来る客の属性と状況に、敏感なのである。

 バックミラーで確認すると、ポッチャリとした感じの小柄な美人である。若い頃の吉永小百合に少し似ている。車を発進してしばらくたつと、やはり雪が降り出してきた。

 女性客が口を開いた。

「あの、失礼ですけれど、運転手さんはおひとりですか」
「はい。いまは、ひとりですけど」

 上野は、30代で離職と離婚を同時に経験していた。

「私、いまどうしたらいいかわからなくなっていて……」

 上野はさっきの“上司”が原因であることを直感した。

「何か悩んでいらっしゃるのですか」
「さっき一緒に立っていた男性、会社の上司なんですけど、不倫関係がもう3年も続いているんです」
「……」

 唐突な告白に驚きながらも、上野はなぜかムラムラと腹が立ってくるのを感じた。

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上野が腹を立てた理由とは…