理由は、この街特有の臭気にある。

 一説では、この街の住人の多くが好んで立小便をするために、街全体が小便臭くなったという。たしかにセンターのある交差点の一角には旧式の公衆便所、つまり便器がなく壁に向かっていたすタイプの公衆便所があって、そこから臭気が漂ってきはするのだが、どうもその手の臭いばかりではなさそうである。

 この公衆便所の道路を挟んだ対面にはマルキン屋という酒屋があって、店の周囲には昼間から路上で酒を飲んでいる人が何人もおり、店の前の路面はのべつまくなしこぼれたアルコールで濡れているし、ここ以外にも缶ビールや缶酎ハイを抱えて路上に座り込んでいる人が大勢いる。

 アルコールと小便の入り混じった臭い。それがこの街特有の臭気の正体なのかどうか定かではないが、いずれにせよこの臭いに慣れない限り長時間の取材は無理だ。だが、どうすれば慣れることができるのか……。

 毒食らわば皿まで。どっぷりとこの街に浸ってしまうしかあるまい。それにはまず、この街で売っているものを食べるのが早道だ。そんな悲壮な決意を固めて友苑の弁当を買い込み、私は寿地区の入り口、いや“序章”とでも言うべき吉浜町公園で弁当の蓋を取ったのだった。

 じょぼじょぼと液体が流れ落ちる音が聞こえてきたのは、茶色いホルモンらしき具を恐る恐る口に入れたのとほぼ同時だった。ホルモンと見えたのは鶏の皮と細切れの肉。そこに、申し訳程度の万能ねぎが緑を添えている。甘塩っぱい味付けだが甘さの方が優っていて、妙にうまい。

 音の主は、隣のベンチに座っている若い男だった。黒い野球帽の後ろからパーマをかけたもじゃもじゃの髪がはみ出している。うす汚れた黒いジャージの上下を着込み、クロックス風の穴あきサンダルを履いた男は、何を思ったか、飲んでいた酎ハイのアルミ缶を、目の高さで逆さまにしていた。いささか芝居がかった感じもしないではなかったが、松田優作に似た男の風貌と、決然としたその仕草に私の目は釘付けになった。

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中身がすっかりなくなると、男は…