どのポジションも起用にこなせるユーティリティープレーヤーとして実働15年の現役生活をまっとうしたのが、“守備のクローザー”の異名をとった日本ハムの飯山裕志だ。

 内野を全ポジションこなし、外野も守れるうえに、2軍時代に捕手も経験。入団4年目の01年に1軍初昇格をはたし、07年にキャリアハイの105試合に出場したが、守備固めや代走起用が多く、打席に立ったのは55回。以後、09年まで3年連続でリーグ最多の守備固め出場を記録している。

 そんな“守備のクローザー”が、打撃で一世一代の主役になったのが、12年の巨人との日本シリーズ第4戦。0対0の延長12回1死一、二塁のチャンスで、次打者は陽岱綱とあって、「(送り)バントを考えた」飯山だったが、栗山英樹監督のサインは「打て!」。

「自分で勝負してくれるんだ」と指揮官の信頼に胸を熱くした飯山は、西村健太朗から左越えに劇的なサヨナラ二塁打を放った。

 脇役の執念のひと振りで2勝2敗のタイとした栗山監督は「裕志は本当に苦労してきた。最後までグラウンドに残ってノックを受けて、バットを振ってきた。どれだけ練習してきたかがわかるヒットだった」と最大の賛辞を贈っている。

 このほか、実働18年の上田浩明(西武)、実働12年の英智(中日)と秀太(阪神)も、飯山同様、息の長いスーパーサブとして知られている。

 ベンチの“ヤジ将軍”という変わった役どころながら、南海時代の野村克也監督に重用されたのが、外野手の大塚徹だ。

 絶妙のタイミングで痛快なヤジを飛ばし、ベンチのムードを明るくするのが、“仕事”だった。

 ある試合で、打線が相手投手を打ちあぐんでいるときに、大塚は言った。「(チームで1番の)高給取りの監督でも打てないんだから、お前らが打てなくて当たり前だろう。シーンとすな!」。もちろん、ベンチは大爆笑。4番を打つ野村監督も苦笑するしかなかった。

 だが、たまに出る代打で、打率も1割台とあって、球団が整理リストに入れてしまう。慌てた野村監督は「彼はベンチにいるだけで、チームに貢献しているんです」と説得して、撤回してもらったという。

 ヤクルト時代の71年5月26日の巨人戦では、1死満塁のチャンスに代打で登場。一度もバットを振ることなく、1球ごとにベンチを見て素振りをするハッタリの演技でサヨナラ押し出し四球を選んでいる。実働12年で75年に引退。サヨナラ押し出し四球4度はNPB最多記録だ。

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仰木監督は“ベンチでの働き”を評価?