強肩強打が持ち味、スター性も兼ね備え、球界屈指の人気選手となった。天才型で豪快なイメージもあるが、気を配れて自然に周りには人が集まった。外国人選手ともすぐに打ち解け、オフシーズンには自宅を訪ねて中南米へ1人旅行をしたこともある。優しくてさみしがり屋というのが周囲のもっぱらの評判。プロでやっていくために自分自身で気を張っている部分もある。乱闘騒ぎに関わることが多いのはその現れだと見るものも多い。

「見た目によらず優し過ぎるというか、気の小さいところがある。それがプレーにも出てしまうことがあった。だから野球をやっている時は、自分に暗示をかけて闘争心を掻き立てる。名選手には意外とこういうタイプは多くて、キヨ(清原和博)などはその典型。いい奴なのに服装や態度で悪い様に見せる。西武の『背番号3』の2人が似たタイプというのは、なにか皮肉な感じもする」(西武関係者)

『番長』と呼ばれた清原も相手投手を“威嚇”することで有名だった。死球絡みではないが阪神・藤川球児にフォークで三振を喫した際には、「ケツの穴小さいな。チ×ポコついとんのか」と発言したのは有名。しかし乱闘で相手に手を出すようなことはほとんどなかった。実際に行動に出たのは89年9月23日のロッテ戦、死球に怒り相手投手の平沼定晴にバットを投げつけ、ヒップアタックをした時ぐらいのものだろう。

 中島も清原と似通った部分があると言う。

「圧力はかけても、直接殴りかかったり胸ぐらを掴んだことはない。本気でやる気ならば、投手でなく捕手に向かう選手もいる。中島はぶつけられたら相手を怒鳴りながら、ゆっくり投手へ向かう。そうすれば捕手や審判、自軍選手が間に入ってくる。場の雰囲気を作り上げるのがうまい」(西武時代の担当記者)

 巨人移籍後も同様の方法でチームを鼓舞する。昨シーズン、5月の広島戦(東京ドーム)では、一岡竜司から頭部に死球を受け激怒。この時も投手の方へ歩み寄ったが捕手などに制止された。両軍選手はベンチから出て来たが乱闘にはならなかった。

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巨人に今必要なのは中島の“戦う姿勢”?