が、考えてみれば、彼は父と違い、ミュージシャンではない。また、ロカビリー歌手といってもまだデビュー前のバンドボーカルという設定だから、これくらいでよいのだとも感じられた。

 そんななか、ちょっと微妙だったのが、野田洋次郎(RADWIMPS)だ。古賀政男をモデルとする作曲家を演じ「影を慕いて」をギターで弾き語りしたが、オリジナルの旋律やブレスを故意に崩したかのような歌唱が気になった。あるいは、ロックミュージシャンらしく、正統的なものに寄せるより、斬新な個性をアピールしたかったのだろうか。

 ただ、この問題はそこだけにとどまらない。じつは「エール」を見ながら、昔の歌謡曲と最近のJポップのあいだにある「断絶」について考えさせられたからだ。

 もともと、歌謡曲はクラシックの影響が強く、草創期にはその流れをくむ歌手や作曲家が多く活躍した。古関や藤山もそうだし、山崎が演じた役のモデルである伊藤久男もそうだ。その点、Jポップにも平原綾香のような人はいるが、異端的存在。ただ、森山や薬師丸の歌い方は平原に近いというか、それほどJポップ的ではない。

 また、ミュージカルもクラシック(オペラ)の影響から生まれ、その影響を今も色濃く残している。

 ということを思えば、クラシックからの距離感が「エール」の音楽にフィットするかどうかを左右したという解釈が可能になる。

 そしてこの「断絶」というものをもうひとつ実感させたのが「主題歌はずし」という問題だ。「エール」では主題歌の「星影のエール」(GReeeeN)が流れない回が10回以上あった。朝ドラの歴史のなかでも、異例なことだ。

 この背景には、コロナ禍により、全130回の予定が120回に縮小されたという事情もあるだろう。尺の不足を、主題歌のカットで補ったというわけだ。また、古関メロディーが流れる回では、それが主題歌の代わりに思えることもあった。

 しかし、理由はおそらくそれだけではない。シリアスで赤裸々な描写が賛否両論だった戦時中パートでは、4回連続で主題歌がはずされた。そこには、Jポップの前向きな明るさがそぐわないという判断も作用したのではないか。

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次々と生まれる「名曲」がテーマ曲に