●京都、鎌倉、紀州から次々と移築

 このほか、鎌倉の駆け込み寺として知られる東慶寺の仏殿、豊臣秀吉が母のため建てさせたと伝わる天瑞寺寿塔覆堂、鎌倉・心平寺跡地にあった地蔵堂などお寺の伽藍をいくつも移築・保存した。紀州徳川家の別荘であった臨春閣、伏見城から月華殿、二条城から家光・春日局ゆかりの聴秋閣など鎌倉・江戸時代の武家様式の建築物、また白川郷から合掌造りの建屋も移築(昭和35年)している。そのままを解体・再建しているので、上記の建築物はすべて重要文化財として、現在も保護されている。

●日本の文化の守り神として

 関東大震災と戦火によってかなりの被害を受け、またこの間に富太郎の死去もあり、三溪園の管理は原家から財団法人へと移ることになる。そして戦火からの復旧まで13年の月日を経てようやく再び一般公開できるようになったのだ。こうして三溪園内の建物はほとんどが文化財の指定を受け現在に至っている。移築・保存という方法に対して厳しい意見を投げる向きもあるが、ここになければすでに崩壊していた可能性があるものもある。富太郎は、三溪園にある建築物のみならず、多くの文化財も保護・収集するコレクターでもあった。彼に生活を支えてもらった画家も多い。このようなパトロンはもう日本からは生まれそうもない。

●三溪の名にふさわしい土地柄

 三溪園の名は、三ノ谷にあることからつけられたのだという。富太郎は三溪という名を号にもしている。すでに一ノ谷、ニノ谷という地名は消えてしまったが、三之谷の住所は今も残されている。三溪園の南門側から入園するとここが三ノ谷と呼ばれる景色であったことがよくわかる。まるで海岸線のような切り立つ岩肌が全面に広がっているからだ。三溪園ができたころは、この付近が海岸線だったらしい。今は高速道路に遮られすぐ先も見えないし、三溪園の展望台(松風閣)からでも海は工場地帯ごしに見える程度となった。

 とはいえ、三溪園の園内は美しい。加えて四季折々の花々が園内を彩り季節ごとの顔をみせてくれる。現在はまさに紅葉シーズンを迎え、山の上に建つ三重塔と正門正面に配置された大池とのコントラストが見事になる。私が訪れた先週末はまだまだ紅葉不足だったが、今週末からはきっと見事になるに違いない。12月6日までは聴秋閣や春草廬などの公開も行われている。ひそかに配置されている石仏や神社などにも手を合わせながら、日本の文化を楽しめる珍しい場所である。実は、海外からの観光客にはよく知られたスポットではあるのだが。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)

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鈴子

鈴子

昭和生まれのライター&編集者。神社仏閣とパワースポットに関するブログ「東京のパワースポットを歩く」(https://tokyopowerspot.com/blog/)が好評。著書に「怨霊退散! TOKYO最強パワースポットを歩く!東東京編/西東京編」(ファミマ・ドット・コム)、「開運ご利益東京・下町散歩 」(Gakken Mook)、「山手線と総武線で「金運」さんぽ!! 」「大江戸線で『縁結び』さんぽ!!」(いずれも新翠舎電子書籍)など。得意ジャンルはほかに欧米を中心とした海外テレビドラマ。ハワイ好き

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