――コロナ禍の今年は異例の年だったと思いますが、どんな生活を送ってきましたか?



 ソロデビュー30周年ということでいろんな計画を立てていたんだけど、みんな飛んじゃってさ。今まで忙しかったから、家にいることがあんまりなかったんだけど、コロナ禍で家族全員、家に勢ぞろいする時間がたくさんできちゃった。

 一番苦しかったのは、妻と面と向かうっていうこと。これまで何十年も、仕事を理由に、妻とうまく目をそらして生きてきたわけだよ。それが、逃げられなくなっちゃった。子どものことも含めていろんなことを話し合うじゃない。世の中的に、コロナで離婚した人が一杯いるっていうけど、俺も寸前まで追い込まれたよ(笑)。ケンカになって、意地を張って「家を出ていく!」と言ったりしたけど、最終的には俺が悪かったんだなって。俺にとって、コロナは最悪だったけど最高だった。ギリギリまで追い詰められて、本当に大切なものは妻と子供たち、そして歌う事なんだなってことを分からせてくれた。大切なものが見つかった分、要らないものを断捨離したよ。東京の仕事部屋のマンションも引き払っちゃった。

――ステイホーム生活を送る中で、ご自身の音楽性に変化はありましたか?

 最初は「ふざけんなよコロナ」って思って、「消費税下げろ」とか、そういう曲ばかり浮かんできた。でも、だんだん心が浄化されてきて、自分の汚れた部分を省みる歌や、ピュアな愛の歌、子どものころ見た夢の歌、いろんな曲がぼんぼん浮かんできてさ。

 音楽とも向き合おうと思って、朝5時に起きて、誰もいない起きてない時間に曲を作るようになった。結局俺って、忙しさにかまけて歌とも向き合ってなかったんだなと、家族とも妻とも向き合ってなかったんだなって気づいた。一番大切なものとは、きちんと向き合っていかなきゃいけないなって。ピンチはチャンスで、俺にとっては貴重な時間になったね。

――今後、新たにチャレンジしたいことはありますか?

 できるんだったら、映画と音楽を融合させた「映画音楽」を作りたいね。

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オーチャードホールを「満杯」に