最初は取りあえずオファーあるから一年だけやって止めようと思っているうちに、自分も楽しくなってきちゃってさ。かつて「全米ナンバーワン」を思い描いていた自分がさ、気が付いたらタレントになっていた。人生って奇想天外だよね。それでも、音楽は回り道しながらずっと続けてきたんだよ。タレント活動をしたおかげで、自分のことを知らなかった人たちからも知ってもらうことができた。

 そうしているうちに、タレント活動を始めてもう14年くらい経つんだよ。あっという間に時が流れていくね。それで今年に入ったらさ、コロナが起きちゃったんだよ。この30年、ほんと激動だよ。

――この30年で、音楽業界にも大きな変化があったと思います。今や、定額聞き放題のストリーミングサービスが全盛の時代ですよね。

 すごく変わったよね。俺がデビューしたときはまだレコードが中心で、ちょうどCDが出始めた時期。俺はレコード派だったから、CDを「こんなおもちゃみたいなもの」って思ってたんだよ。それが、一気にCDがはやって、ついにはCDが売れなくなっちゃうんだよ。驚きだよね。

――そうした時代の変化がありながら、30年間活動を続けていくのは容易ではなかったと思います。活動を続けてこられた要因は何だったのでしょうか?

 好きで始めた事だから続けていくことは苦じゃなかった。不器用だしこれしかできないからね。俺の場合は、一生懸命必死で前向きに生きていたら、どんどん新しいことに出会えた。かつての自分はロックンローラーだったから、まさか男性不妊の本を出したり、バラエティー番組で笑われたりするなんて、30年前には想像もしていなかった。でも、なんでも面白がってやったね。これはこれで、自分の生きるすべなのかもね。

――この間に「3人のお子さんの誕生」という大きな出来事があったと思います。ご自身の音楽性や、楽曲で伝えたいものは変わりましたか。

 変わったね。昔の自分は、「俺が俺が」っていう、「オレオレ音楽」。「俺は悲しいんだ」、「俺は恋してるんだ」、「俺は失恋したんだ」みたいな。俺が中心で、俺のために音楽を作ってたんだよ。だけど男性不妊で子どもを授かったことによって、「俺のため」だったのがさ、「子どものため」「誰かのため」に何かをすることの喜びのようなものを感じるようになったんだよ。かつての自分は、「俺が俺が」って言って、取れないものは奪っちゃえみたいなTAKERだったけど、与えることGIVEのほうが喜びが大きいんだなって。心の底からじわーっとした喜びが湧いてきて。そういう歌を歌いたいな、って思うようになってきてさ。シンプルで、深く心に染み入っていくような音楽のほうが好きになっちゃったんだよね。

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「コロナ離婚」の寸前まで追い込まれた