やりたい放題やったせいで製作費もすごくかかって、当時の事務所からもたたかれた。2枚目のアルバムを出そうとしたら、収支が合わないからできないって言われちゃった。それで、1枚目のアルバムを出してから丸1年くらい、表舞台に全然出られなくなったんだ。その1年間は、要するに干されていた。だからずーっと曲を作ってた。俺にとってはとってもつらい1年だったけど、新たな「ダイアモンド☆ユカイ」を見つけるための、大事な模索の時間だったね。



――確かに、アルバムのカラーは1枚ごとにまったく違いますよね。ある意味で、一貫していると感じました。

 ソロ時代を振り返ると、ずーっとカオスを繰り返していたような感じ。毎回アルバムを出すごとに変身して、「今の自分」を表現していたから、ファンはもうついて来れなかったんじゃないかな。「どこ行っちゃうの、こいつ」みたいな。その間に、自分でも悩んでたんだよね。評価されたかったのかもしれないし、こんなもんじゃねえだろって思うこともあった。いろいろ揺れ動く中で、バンドを再結成したりとか、模索をしてきた。ソロ活動ではずっと、「ダイアモンド☆ユカイ探し」を続けていたんだろうね。

 それでも幸せなことに、最初の10年ぐらいはビジネス的にはいいペースでやれてた。その次の10年ぐらいから、さらにカオス。「成り下がりの時代」って俺は呼んでるんだけど。芸人さんとかだったら、10年ぐらい下積みの時代があるでしょ。バンド時代は下積みがなかったから、ここで初めて、下積みに戻ったような感じ。活動にも広がりがなくて、どんどん小さいところに入って行っちゃった。

――そこから転機となる出来事があったんでしょうか?

「成り下がりの時代」に好き勝手にやっていたら、役者をやりませんかっていう仕事が入ったんだよ。それで行ってみたら、バラエティー番組の『踊る!さんま御殿!!』だった。見事にだまされちゃった。音楽しかやってなかったから一度も番組を見たことがなかったんだけど、右も左もわからないまま出演したんだよ。でも、俺があまりにも浮世離れしてたからさ、世間には面白く映ったんだろうね。それを機にタレント活動が始まって。そのへんから人生がまた面白い方向に転がったね。

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男性不妊で子どもを授かり「変わった」