これが結局続いてしまうと、冒頭でも話したように軍国主義につながってしまうんではないかと思う。だから「善」と「悪」ですぐ決めてはいけないと思うんです。不倫は「善」か「悪」かって言われたら「悪」なんですよ。「悪」は「悪」なんだけど、「善」か「悪」かだけで決めつけるなのがよくないという話をしているんです。絶対的な「悪」であるという決まりがあったり、定義があるものではないじゃないですか。

 姦通罪などというものが存在するのであれば、その罪を犯せば「悪」です。でも不倫はダメダメダメって世間とかネットは「悪」と決めがちなのは怖くないか? と思っている。「善」か「悪」で決めがちなことを懸念しているのに、こと不倫に関して、この懸念を発言すると、「竹山は不倫を推奨している、頭おかしい」とか「何バカな事を言っているんだ」「そんなこと言っているヤツはテレビに出すな」という意見がくるんだけど、そこで、人と違う意見に対してそういうことを言い出すと、軍国主義にもつながるよ、もう一度歴史を繰り返してしまうよ、と思う。その流れがずっと怖いなと思っている。たかだか、他人の不倫の問題に対する意見の例なんだけれどもここ数年ずっと考えている。

 世の中にはいろんな意見があってもいいと思うんだけど、不倫報道以外のことも、一方的な意見になり過ぎているのを心配していて、今このコラムを読んだ人がまた「あいつは何言ってんだ」ってなるんですよ(笑)。書き込むのは自由なんだけど、世の中には賛否があるということをわかった上でないと、感情的に「ダメ、ダメ」って片づけてしまうと、物事を冷静に判断できないじゃないですか。自分が納得できなかったり、自分の意見と違う考えを聞いたときは「この人のコメントはいつもズレてない?」と片づけてしまい、その意見を分析しようとしない人が増えてきている。

 どうしてこんなことになっているかというと、元々人間は「善」か「悪」かで決めがちなものなんだけど、ネットの出現で、その意見が可視化されて、より明確に分かれてしまった。可視化されたということは便利な世の中なんだけれども、可視化されたことの怖さもある。答えが個人の中で凝り固まってしまう。

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心地よい意見には「称賛」苦言には「非難」