その輝きは、今年話題になったアマビエのような“呪力”さえ感じさせるものだ。実際、石岡はモンスターや魑魅魍魎の衣装も多くデザインしている。

 奇しくもコロナ禍の日本に、石岡瑛子はよみがえった。

■あのスティーブ・ジョブズも魅了した

 石岡瑛子の名を耳にしたことがない読者もおられるだろう。

 アップルの創設者スティーブ・ジョブズやフランシス・コッポラ監督といった世界的ビッグも魅了したデザイナーである。だが、グローバルな舞台で華々しく活躍したわりに、その業績について語られることは少なくなっている。特に日本においては。

 そこで“伝説のデザイナー”の略歴を少し紹介しておきたい。

 1961年、石岡瑛子は東京藝術大学を卒業し、デザイナーとして資生堂に入社した。そして入社数年目にしてたちまち頭角を現す。当時、新人の登竜門と見なされていたデザインアワード「日宣美賞」を女性として初受賞するなどしている。

 その後、ほぼ無名の新人だった前田美波里をモデルに起用したキャンペーン「太陽に愛されよう」(1966年)を大ブレイクさせた。「人形のような紋切り型の美人。男性の愛玩物のような古い女性像をぶち壊したい」。そんな意図を秘めたキャスティングだった。

 日本初のハワイロケを敢行したことでも知られるこのキャンペーンは、新しい美人像を生み出すことになり、ポスターを「貼っても貼っても盗まれる」社会現象まで巻き起こすことになる。石岡は広告表現の世界にイノベーションをもたらしたのである。

 フリーランスになった石岡瑛子は、1970年代になると、パルコや角川書店といった当時の個性派企業のキャンペーンをトータル・ディレクターとして手がけることになる。なかでもパルコの広告は、リリースされるたびに世間の話題をさらい、石岡は一躍ときの人となった。

 その頃はウーマンリブ運動が盛り上がっていた時代でもある。第一線で“はたらく女性”の代表格としてマスコミの脚光も浴びた。

「モデルだって顔だけじゃダメなんだ」「裸を見るな。裸になれ」。これは当時のパルコの広告の代表作。ファッショナブルな男女の海外モデルを起用したポスターに、たった一行書かれたコピーも挑発的だった。広告キャンペーンがやたらカッコよく見えた時代の話だ。

 石岡瑛子は、社会に根づいた様々なステレオタイプに、デザイナーとしてのアプローチで挑戦することになり、関わったあらゆるプロジェクトに全身全霊を傾ける彼女の仕事ぶりは“完璧主義”とまで言われた。

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