C大阪などで活躍したバルデス(写真/gettyimages)
C大阪などで活躍したバルデス(写真/gettyimages)

 サッカーを通じて抱く感情の一つに「世界は広い」というものがある。FIFA(国際サッカー連盟)の加盟数は211の国と地域を数え、Jリーグにおいても「それってどこにあるの?」という疑問や、「そんなところでもサッカーやっていたのか!」と驚くような“レアな国”からやって来た選手たちがいる。

 振り返ると、J発足直後の1993年から95年にかけて、ガンバ大阪にセルゲイ・アレイニコフという名選手がいた。口ひげを生やしながら長短織り交ぜたパスを味方に供給するボランチ。ソ連代表として1986年W杯に出場して大会ベストゴールとも呼ばれるロングシュートを決めた男だが、1991年のソ連崩壊によって来日した際の彼の国籍はベラルーシだった。

 ベラルーシの代表チームは、W杯、欧州選手権ともに本大会出場経験なし。同国出身のサッカー選手にはアーセナルやバルセロナでプレーしたアレクサンドル・フレブがいるが、当時からのJリーグサポーターに「ベラルーシといえば?」と聞けば、「アレイニコフ」と答えるはずだ。

 同じ頃、JFLを含めた日本国内複数クラブを渡り歩いた“カリブの怪人”ホルヘ・デリー・バルデス(日本での登録名はバルデス)がいた。彼の出身は、南北アメリカ大陸の境に位置するパナマ。1993年に来日(当時の所属はJFL東芝)し、95年にはJリーグに昇格したばかりのセレッソ大阪で19得点の活躍。97年には札幌のJリーグ昇格に貢献し、翌98年にはリーグ戦21得点をマークしている。

 日本通算9年でカップ戦を含めると実に200ゴール以上を奪った優れた点取り屋だった。世界的には双子の兄であるフリオ・デリー・バルデスの方が有名だが、特に札幌サポーターにとっては97年に4対3の延長Vゴールで川崎に逆転勝ちした「厚別の奇跡」の立役者として忘れられない存在となっている。

 その他では、2010年にフィンケ監督時代の浦和に加入したウィルフリード・サヌも思い出される。西アフリカのブルキナファソ出身。浦和でのプレーは1年間のみだったが、身長165センチながら高い身体能力でサイドを疾走し、計26試合出場2得点の成績以上にサポーターから愛された。12年からはJ2の京都で2年間プレーしている。

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現役選手にも“レアな国”からの来た選手