テレビ局と大手芸能事務所が「そういう関係」であるのは周知の事実だが、今回はあまりにも露骨な対応だった。そんな中で、松本だけが何ものにもとらわれずに自らの思いを語っていた。

 ここで改めて考えたいのは、なぜ松本はそこまでこの話をしたかったのか、ということだ。その理由は、松本が常に受け手のことを考えてエンターテインメントを発信し続けてきた人間だからだ。

 例えば、年末特番の『笑ってはいけない』シリーズの中で、松本はココリコ、月亭方正といった後輩芸人と共に、笑うと尻を叩かれるという過酷な設定の長時間ロケに挑んでいる。

 松本ほどのキャリアと実績があれば、自らをからだを張る必要はない。尻を叩かれる役目は後輩芸人に任せて、自分は高みの見物を決め込んでも良さそうなものだ。だが、彼はそれをしない。なぜなら、視聴者目線で見たとき、その方が「気持ち悪くない」からだ。

 普段は上の立場にいる松本が、この特番のときだけは人一倍多く笑ってしまい、尻を叩かれ、惨めな姿をさらけ出す。それが娯楽として優れているということをわかっているからこそ、彼はそこに出続けるのだ。

 松本はかつて「笑いは笑う人間がいないと成立しない」と語っていたことがある。笑いは「わかる人だけわかればいい」という芸術のようなものではない。「笑い」という具体的な結果を目的とするからこそ、観客に理解してもらわなければ意味がない。

 笑いを生業として、誰よりも笑いについて考えてきた松本は、誰よりも観客のことを考えてきた人間でもある。見る側が「気持ち悪い」「不自然だ」と思うようなことはできる限り排除したい。不自然さや違和感は人が楽しむための妨げになるからだ。

『ワイドナショー』で松本が近藤の話題を持ち出したのは、彼の徹底した顧客志向の表れである。見る側のことを第一に考えて上質のサービスを提供する松本は、芸能界随一の「おもてなし」の達人なのだ。(お笑い評論家/ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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