2005年のJ1・J2入れ替え戦(第2戦)で6ゴールを叩き込んだFWバレーも、日本への帰化という可能性があったブラジル人だ。2001年に19歳で初来日してプロのキャリアをスタートさせ、2003年に再来日し、大宮、甲府、G大阪でプレー。身長190センチのフィジカルの強さに豊かなスピードを兼ね備えたパワフルな突破力を武器にゴールを量産。来日当初は技術的な拙さも目についたが、Jリーグの舞台で成長を続け、最終的にJ1通算117試合56得点、J2通算152試合71得点を記録した。2008年8月にエメルソンと同じく中東のオイルマネーに引き抜かれる形となったが、性格的も真面目で日本語の勉強にも励んでいたことから、あのままJリーグでのプレーを続けていれば、あるいは2010年の南アフリカW杯の1トップは、本田圭佑ではなかったかも知れない。

 元ブラジル代表のFWフッキにも一時期、日本帰化の噂があった。2005年に18歳で来日し、川崎、札幌、東京Vで計4年間プレーし、強靭なフィジカルとパワフルな左足シュートで相手DF&GKを蹴散らしながら、J1通算22試合8得点、J2通算80試合62得点を記録。エメルソン同様にトラブルメーカーでもあり、起用法やレフェリイングに対して不満を募らせて「Jリーグ、無理」と言い放ち退団したが、その後、FCポルト(ポルトガル)、ゼニト(ロシア)で活躍して自らの実力を証明。2009年にブラジル代表に初選出されると、2014年のブラジルW杯に母国代表として出場した。キャリア的にJリーグから世界へと巣立っただけに、もし日本のサッカーと文化に馴染むことができていれば、サムライブルーのユニフォームを着て母国凱旋、そして日本を決勝トーナメント進出に導くストーリーがあったかも知れない。

 その他、Jリーグの在籍年数で考えれば、2人のブラジル人、シジクレイとドゥトラの帰化を想像してしまう。1997年に24歳で来日したシジクレイは、山形、京都、大分、神戸、G大阪で2009年までの計13年間、日本でプレーしたセンターバック。G大阪時代の2005年には外国人選手としてはクラブ史上初のキャプテンとしてチームのリーグ初優勝に大きく貢献するなど、身長187センチの強靭な肉体に優れた戦術眼と判断力でDFラインを統率し、J1・J2・JFLを合わせてリーグ戦通算373試合に出場した。シジクレイが帰化していれば、日本代表が最も苦手としたパワープレイを平然と跳ね返してくれたはずだ。

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今後も帰化選手が活躍する時代は来る?