長い間Jリーグでプレーしたシジクレイ (c)朝日新聞社
長い間Jリーグでプレーしたシジクレイ (c)朝日新聞社

 サッカー日本代表・森保ジャパンが活動を再開させた。オール海外組で臨んだ10月のオランダ遠征では、カメルーン、コートジボワールというアフリカの強豪国相手に1勝1分けという好結果で終えた一方、特に攻撃陣に対して物足りなさを感じたファンも多いだろう。そして、この停滞感を打破する有効な手段の一つに「帰化選手の代表招集」がある。移民や二重国籍を持つ選手が多い欧州強豪国だけでなく、近年はアジアでもカタールや中国が積極的に推し進めている戦力強化策だ。

 日本においても、古くは吉村大志郎(ネルソン吉村)、与那城ジョージ、ラモス瑠偉に始まり、日本代表がW杯に初出場した1998年フランス大会以降、呂比須ワグナー、三都主アレサンドロ、田中マルクス闘莉王が帰化選手としてW杯に出場した。そして現在は、J3、J2で得点王となって今季から浦和に加入したFWレオナルド、日本通算8年目のガンバ大阪所属のFWパトリックなどが、日本帰化の希望を明らかにしている。ただ、日本への帰化条件は他国よりも厳しく、「引き続き5年以上日本に住所を有すること」のほか、「日本語能力」や「素行善良」などが求められ、それが故にこれまでも日本帰化の希望を口にしながらも実現しなかった事例も多い。

 まず思い出されるのが、爆発的なスピードでゴールを量産したブラジル人FWエメルソンだ。2000年に22歳で来日し、札幌、川崎、浦和の3クラブで計6年間プレーし、リーグ戦J1通算100試合71得点。J2通算52試合50得点をマーク。J1得点王に輝いた浦和時代の2004年に帰化の話題が持ち上がり、本人の前向きなコメントも伝えられていたが、その後の手続きは一向に進まず、いつしか立ち消えになった。悪童ぶりも目立ち、最終的には中東からの巨額オファーでカタールへと渡った(その後、カタール国籍を取得するもFIFAより代表資格なしを通達された)が、もしエメルソンが真面目に帰化へ向けて努力していれば、失意に暮れた2006年ドイツW杯に違った結末があったかも知れない。

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