そうして、片付けが命題の180日間はあっという間に過ぎた。なんとか家具の配置や収納も工夫し、安全な動線を確保。半年後の帰省を約束して私は実家を後にした。

■   母の急逝 5カ月で元の状態に逆戻り…

 再度の帰省が1カ月後に迫ったころ、母が虚血性心不全により突然亡くなった。緊急帰国した私と夫を待っていたのは、突然の母の死に混乱状態の父と、実家の変わり果てたありさま。

「そこそこ片付けたはずなのに。半年かけて片付けた家が5カ月で元の状態になるなんて……」

 無理もないと思いながらもがくぜんとした。

 しかし、悲しみにひたっている時間はない。帰国当日から葬儀の準備と平行して大まかな片付けと掃除を開始。訃報を聞き、いつ誰が来るともかぎらないからだ。とりあえず見せたくないモノは母の部屋に移動させ、移動できないモノには目立たない大きな布をかけてカバー。この手っ取り早く目隠しができる“布マジック”は、急な来客時によく利用した。

 葬儀の後は私だけ日本に残り、残務処理にあたりつつ、家事をはじめとする父のサポートと片付け作業を続けた。弔花やお菓子など山のように頂戴するうえに、もろもろの手続き書類がドッサリ増えたことで、片付けはますます複雑になった。

そんな矢先、実家のある自治体でゴミの有料化が決まった。粗大ゴミぎりぎりの大型のもの、傘など長さのあるものなどはなるべく捨てしまいたいので、無料の間に少しでも多くの不用品を処分することに。エアコンの買い替えで新しい室外機を設置するにあたり、ベランダを占領していた古い大型スチール棚も解体して処分した。

「片付けにはタイムリミットを設けると効果的なんだな」

 自治体のごみの有料化で、図らずも片付けのコツがわかった。

■  父を見守りたい 実家の片付けは今も続く 

「なんだか気が抜けた。張り合いがなく、ボーッとしてしまう……」

 男性に多いケースだが、母の世話が生きがいになっていた父は、母を失った喪失感から立ち直れず、急速に弱っていった。私は公的書類の更新手続きなどやむを得ない所用があるとき以外は日本にとどまり、父を見守りながら、家が少しでも暮らしやすい空間になるよう、ゴールがなかなか見えない片付けを少しずつ続けた。一人っ子である私にとって、父はやはりかけがえのない存在。高齢の父に、安全に衛生的に晩年をおだやかに過ごしてほしいからだ。

 ムリせず少しずつでも確実に。簡単に終わらない実家の片付けは今も続いている。

 今回の体験で感じたのは、40~50代はそう遠くない老親の介護を見越し、周りにヘルプを求められるような環境づくりを心がけることが大切だということ。自治体からの支援サービスに関する知識の蓄積や、いざという時に備えてヘルプを求められるよう、ご近所さんや地元の商店主との地域密着型の良い関係づくりをすることで、1人ではどうにもならなそうなことも、どうにかなる状況へと変化する。

 突然のことで必死だったが、親が介護生活に入る前段階の少しでも元気なときから、地道に片付けを始めていくと、もっと楽だったかもしれない。また、体が動く元気なうちに終活の一環として、少しでも早くから住まいの整頓に自主的に着手していくことが大切だと、今回改めて痛感させられた。(文/スローマリッジ取材班・山本真理)

山本真理(やまもと まり)/1968年東京生まれ。ライター。トルコ イスタンブール在住歴14年。トルコと周辺国の食、民族文化、国際結婚事情など、自身の経験やつながりの深い分野で幅広く活動中。