巨人時代の長嶋一茂 (c)朝日新聞社
巨人時代の長嶋一茂 (c)朝日新聞社

 1988年、ドラフト1位でヤクルトに入団した長嶋一茂は、4月27日の巨人戦で、ガリクソンからプロ初安打となるバックスクリーン弾を記録。「球も全然見えなくて、適当に振った」ことが最良の結果をもたらし、父同様、“持っている男”であることを証明した。

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 ところが、90年に野村克也監督が就任すると、ID野球になじめず、ミーティング中にドラえもんの絵をかいていた一茂の出番は激減し、一転”冬の時代“に突入する。

 そんな不遇の時期にあって、半月余りにわたって、“ミスター2世”らしい輝きを放ったのが、翌91年6月だ。

 6月9日の広島戦。左足首を痛めた正三塁手・角富士夫に代わって先発出場した一茂は、2回に中前タイムリーを放ち、シーズン初打点を挙げると、3回には左中間に2点タイムリー二塁打、4回にも三遊間を破る2点タイムリーを記録し、5打数3安打5打点と大暴れ。「ウソみたい。うれしいですねえ」と本人も半信半疑。野村監督も「怒られるかもしれんが、思わぬところで思わぬ人が打つからビックリ」と目を白黒させた。

 ここからヤクルトは破竹の12連勝で一気に首位浮上。一茂も8連勝を記録した同18日の広島戦まで30打数10安打13打点2本塁打と主軸級の大活躍だった。

 そして、13連勝がかかった同26日の巨人戦も、8回を終わって4対1と勝利目前。ところが、無死一、二塁で吉村禎章の三邪飛を、一茂がポロリと落球したのを境に流れが変わる。1死後、村田真一は三遊間へのゴロ。捕っていれば併殺コースだったが、一茂ははじいてしまう(記録は内野安打)。直後、サードは角と交代したが、ここから完投勝利まであと2人だった川崎憲次郎が4連打を浴び、悪夢の逆転サヨナラ負け……。「川崎に悪いことをしてしまった」の反省コメントどおり、「一茂で始まり、一茂で終わった連勝」だった。

 さらに同年8月31日の大洋戦では、攻守にわたる珍プレーで本のファンを沸かせた。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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野村監督「まるで宇宙遊泳するみたいな珍しい選手や」